10年先の未来世界は幸せか?

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

立冬 第五十六候『地始めて凍る』

 数日前に、上野の西洋美術館に行きましたが、あたりの木々はまだ色づいていません。この公孫樹がせいぜいといったところでした。
 一方、今日は物悲しいくらいの曇り空です。

 今日の珈琲は、「ルワンダ」でした。最近、「ルワンダ」をよく見かけるような気がするのですが、気のせいでしょうか?それとも、アフリカや中東の情勢が何か影響しているのでしょうか?カジュアルにおいしく飲めるので、余計なことを考えてしまいます。
 この頃、職場でコーヒーメーカーを使って珈琲を淹れることがことが多くなりました。潜在的に持っている気がする職人気質が満たされる気がします。
 その際に、コーヒーメーカーにAI、人工知能が組み込まれていれば、完璧な珈琲が淹れられるのではないのか、もう、すでに、組み込まれたマシンができているのではないのかなどと考えてみたのですが、これは案外つまらない、と思い直しました。
 失敗もあるけど、自分の判断と腕で淹れる珈琲の美味しさは、コーヒーメーカーの淹れる珈琲と共存していいのだと思いました。
 というわけで、ちょっと強引ですが、今回は、人工知能に関するちょっと角度の変わった本書を取り上げてみました。

コンピューターで「脳」がつくれるか(五木田和也 著)


汎用AIと特化型AIは違うのです

 私たちは案外、人工知能について、混乱した認識のままにあれこれ考えているようです。
 実は、人工知能には、「特化型AI」と「汎用AI」という、あいことなる、人工知能があるのだと、本書は教えてくれます。
 最近話題になっている、将棋や囲碁の、その道のプロを負かした人工知能とは、特化型AIのことです。汎用AIについては、まだ研究がやっと入り口にたどり着いたような段階なのだそうですが、今後(といっても十年単位のことのようですが)、劇的に発展する分野なのだそうです。
 AIに仕事を奪われるというようなことで騒がれているのは、特化型AIのことです。汎用AIは動物の知性を再現するのが大きな目的で、「大自然の中で生きる」ことを目的にし、特化型AIは、「ある特定の問題を人間の手を介さずに解決したい」という想いから発展してきたもの」で、「スタートはもちろんゴールも違う」のです。特化型AIの目指すものを延長すれば、人間の仕事は結構な部分が特化型AIに置き換わることが、研究・開発の成功ということになります。
 著者が、「本書は、『流行している人工知能』と『人間のような人工知能』がまったく別のものである!ということを伝えるのが目的です。」と「はじめに」に書いています。だから、「これまでにある人工知能の本とは随分趣向の異なる本になっていますので、人工知能入門の最初の一冊としてはもちろん、まったくの初学者の方にもお読みいただけると思います。」とあり、ハードルはそんなに高くないようです。
 話題のディープラーニング、人間の脳の形式を真似た人口ニューロンパーセプトロンバックプロパゲーションということも含めたニューラルネットワークと、画像認識系や音声認識、時系列データの処理等々、ここで説明するよりも、読めば案外すんなりと「そうか!」と、わかる(気がする)内容です。
 人工知能に関する本書を読んで改めて学んだことは、「自分の脳」についてでした。実は、脳梗塞になって以来(幸い、意識するような障害が残らなかったので助かりました。最も意識しない障害はどこかにあるのかもしれませんが)、自分の脳について知りたいと思うようになりました。本書を読んで、小脳の万能なシステムとディープラーニングの関係や、6層構造になっている大脳新皮質を構成している「コラム」のことなど(汎用AIの中心構造となることが予想されている)、自分自身の謎と神秘性にワクワクします。
 さらには、人工知能学会の「倫理指針」作成と、アシモフの「ロボット三原則」とか、SF小説で描かれていた世界が、現実になりつつあるともいえます。
ところで、人工知能については、ネガティブな捉え方もあれば、ポジティブな受け止めもあります。ポジティブな受け止めでは、意外にも高齢社会における有用性が色々と指摘されてもいます。そんな人工知能(AIとだけ表記されることで混乱もあるようですが)について考える手がかりにどうぞ。


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