働くって、雇われることだけじゃない

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

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猛暑がぶり返してきました。自宅前で、保育園の建て替え工事が行われ、今は更地になっています。東の空にカメラを向けたら結構怪しい写真が撮れました。
子供の頃、ここはどっかの企業の社宅でした。小学校から中学校までの、同級生の子もいました。敷地内には、クローバーの群生する原っぱみたいなところもあったと記憶しています。
時の経過を感じます。それでも、自分自身は、その頃からあまり変わっていないところが多いように感じていて、年齢と認識とのギャップはどこから生まれてくるのでしょうか?

九十歳まで働く、やっぱり長いよな

ところで、人生百歳時代、九十歳までは働く時代が本当に来そうです。そんな時に備えて、心構えの問題として、こういう本も必要でしょう。ただ、面白い部分は、ソニーのトップの逸話なんですが。


「一ツ橋の卒業生は、頭が良くて成績もよければ官庁に入る。頭が良くて成績が悪ければ商社に入る。頭が悪くて成績が良ければ銀行に入る。頭が悪くて成績も悪ければメーカーに入る。」と著者は書いていますが、東大の場合はどうなんだろうと思ってしまう、昨今の官僚の世界の悲惨な有様です。

頭が良くて成績もいい人が悪事に手を染めるということは、どういうことなのか?

それと別に、本書のタイトルを読むと、そこまで働くのはうーんと考えざるを得ない。父は九十歳、母は九十四歳で亡くなりましたが、そうすると、父の場合はほぼ、死ぬまで働いたということでもあり、そういう視点で考えてみると、全否定の話でもなく、著者の話を聞いてみようという気になってくるのは、文体がさせるところもあるような文章です。
著者略歴を読めばわかりますが、多彩な伊藤忠からはじまる経歴に中で、ソニーという会社とそこでの出会いに並々ならぬ思い入れがあることが、前半の四割くらいを占めています。この辺を読んでいて、40年以上の付き合いの友人ユウイチ君を思い出しました。
ユウイチ君とは、彼が大学一年の時に出会いましたが、その時まで、熊のぬいぐるみを抱いて寝ていた、しかも、ぬいぐるみのクマの毛は垂らしたヨダレで房になっているという有様だったのですが、卒業してソニーヤングラボという会社に就職したのです。
やがて奥方の実家の家業を継ぐために退社して、設備工事会社の社長になっています。まあ、その間から今日まで、波乱万丈だったと思いますが、ソニーマンってそんな人も多いのではないかと思わせるものを本書から感じました。

こうすれば実現できる、というサブタイトルは、これらのことをしなければ、という内容もあって、やってはいけないことも含まれていますが、考えたり行動したり、自分でする分には手がかりになることが書いてあって、そこからの深掘りは自分でしなければならないものです。
働き方は、雇われて仕事をすることより、セカンドステージの働き方は、個人事業主のような、あるいは、フリーランスで少し稼ぐというのがいいのじゃないかと、楽な道に走りがちな私は、茨の道の選択をあえて掲げていますが。


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