持続可能性をイタリアの小さな村に探る

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

今日は一転、曇り空です。昨日の夜は今日れるな雷が発生して、夜の外出を控えてしまいました。

大学3年の時に、岡松邸の二階に下宿しました。我が部屋は一種小さな梁山泊といった趣で、年中、若者が、昼となく、夜となく集まってきたのです。下宿初日の深夜には、大家の息子のけんちゃんが大きな枕を抱えて、部屋のドアを叩き、それ以来、誰の部屋かもわからない有様でした。
当時の飲み物は、圧倒的にコーラで、若者は我が部屋に来るまでに、道端に捨てられていたコーラの瓶を拾って来るのが習わしだったのです。いつものパン屋で買うのは、ペプシのホームサイズ(ファミリーサイズだったか?)、ビン代込みで70円、ですから、買いに行く若者は、拾ったコーラの瓶7本を持って買いにいくのでした。
それからおよそ50年、その間コーラは飲んでいなかったのですが、この夏の暑さで、水分補給が大事になり、水ばかり飲んでいていささかのみ飽きたので、本当に久しぶりにコーラを飲みました。最もゼロカロリーのものですが。こんな味だったかと、不確かな味覚の記憶しかありませんでしたが、もはや若い日の強烈な刺激とはほど遠い、しかし、懐かしい味でした。

最近イタリアについて興味が湧いています。なぜイタリアには小さな村が厳然として息づいているのか、小さな共同体がなぜ存続し、次の世代にも受け継がれていこうとしているのか?
テレビ番組でイタリアの小さな村の暮らしを知ってから素朴な疑問が頭を去りませんでした。
そうしたら、こんな本を発見しました。

アルコールはやめているので、ヒマラヤのダージリンをゆっくりと飲みながらあれこれ考えるのですが、観光立国を唱える日本のヒントになることもあるように思います。


アルベルゴ・ディフーゾのおもてなしについては本書をお読みに。

イタリアの小さな村についての素朴な疑問が少しほぐれて来そうです。

ヒマラヤのダージリンについてですが、爽やかな白桃の香りと甘さを感じます。


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紅茶はこれです