嵐山の小水力発電

 班長の飯島です。操作ミスから予告編的に写真だけ投稿してしまいました。そこであらためて記事を書くことにします。(しかも、20日の記事が編集も削除できないのです。トホホ。)
 なお、意見はすべて私個人のものです。

1年越しの調査


さまざまなことがあって、念願の京都嵐山の小水力発電施設をみてきました。写真で見ると、遠くに渡月橋がみえるので、結構大きい感じがしますが、現物は本当に「小水力」という感じの小じんまりしたものでした。
 これなら、設置は、別の要素(水利権やコスト、付帯設備の問題など)を除けば、案外さまざまなところに設置が可能だと思えました。特に水利権の問題は、民間で小水力発電を検討するときに重要なファクターになります。「地産地消」の電力という発想のときは良いのでしょうが、配電会社への売電や、発電事業への参入ということで、多少とも発電規模の大きな施設をと考えだすと、いろいろと面倒なことが起きてくるのではないでしょうか。
 これからの日本に限らず経済の行き方は、規模の経済とは違う尺度で考えることが必要になってきているのではないかというのが、最近の私の考えです。この考えを生かした取り組みをこの分析班の活動でも行っていく予定です。

 観光客の人々はあまり関心を示していなかったのは、当然といえば当然かもしれません。
 この掲示板も、ああそうかという感じでしょうね。夜になって、現実にライトアップをみると、思い出すのかも知れませんが。

 翌日の新聞各紙の一面は「電力小売り自由化」に関する記事を一斉に取り上げていましたが、これとは別に、7月からは自然エネルギーによる発電の買い取り制度の実施や、今夏の電力需給に関する見通しと節電、電力料金の値上げ問題、そして、東電に関して言えば、そもそもの福島第1原発事故終息への取り組みや6月の株主総会と、問題、課題が山積です。
 そんな思いで、現地の京都新聞を見ていたら、京都府南丹市美山町芦生にマイクロ水力発電設備を整備したという記事を発見しました。
 美山町では関西電力が戦後に電気の供給を始めるまで〈現在の10電力会社の地域独占体制の発足ですね)は、水力発電施設が多数あったと記事は伝えています。

電力独占への抵抗としての公営電気事業
 そもそも、京都市は、市営路面電車への電源供給のため琵琶湖からの疏水を利用して蹴上に発電所を建設し、なんと1891年から送電を開始していた歴史があります。(そういえばかつて蹴上の発電所の施設http://www.gijyutu.com/ooki/isan/isan-bunya/biwakososui/keage/keage.htmも見たことがありました)。翌年には正式に京都市営の電気事業として経営されています。もちろん、全国で初めてです。京都に続いて全国で公営電気事業が開始され、1927年には公営電気事業者の数は100に達していたと東電解体―巨大株式会社の終焉にあります。ところが、戦時体制の電力統合、戦後の電気事業の再編の中、1946年、東京都議会が[配電事業移管に関する意見書」を満場一致で可決、政府に提出、「関東配電」を買収、今日の東電筆頭株主への道筋が付けられました。東京都議会に続いて、京都市議会も「電気事業復元に関する意見書」を採択しています。
 1948年には、福島県の呼びかけで(歴史の予期せざるめぐりあわせを感じますが)1都11県の代表が集まって配電事業の都道府県営という要望を決議、さらに1都1道25県によって配電事業全国都道府県営期成同盟会が結成されたという。(詳しくは前掲書東電解体―巨大株式会社の終焉をお読みいただくとして)今の制度、体制も短い時間しかたっていない、動かし変えることも可能なものなのだとそんな思いをしながら、記事を読んでいました。美山町のマイクロ水力発電はモデル事業とのことで、当然、環境省の助成がついています。
 東電本編への思わぬ序章になった今回の旅でした。

今回と東電本編の資料
 中大の現役時代に奥村先生の授業があったとしても受講していなかったかも知れません。あまり勉強しなかったですから。今はもったいないと思います。



ガンダムとワンピースの共通点を取り上げました
 飯島謹一U・R・Iレポートhttp://d.hatena.ne.jp/kin-ichi/でも仕事術を取り上げたところワンピースとの意外な共通点を発見しました。ときどき変化球を投げないと。

赤い彗星の復活に少し泣きます。

安田雪さんの本は別の本も取り上げていますが、それも興味深いです。