ご連絡とお願い

ペンギン堂の飯島です。
この度、はてなダイアリーのサービスが来年の春で終了することになったそうで、はてなダイアリーからはてなブログに移行することになりました。皆様にはご愛読いただき誠にありがとうございました。これを期に、いま一つありましたダイアリーと統合して、はてなブログで再出発することになりました。
アドレスは以下の通りです。引き続きご愛読いただければ幸いです。
『飯島謹一の「都市・調査・情報レポート』と『ぺんぎん堂日記』https://kin-ichi.hatenablog.com/
よろしくお願いいたします。

雀百まで、か

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私自身のものです。

このところ雨が続いて、肌寒く、ちょうど裏起毛のトレーナーをネットで買って、届いたところですが、流石に今からこれを着ると、冬には何を切れば良いのか困る事になるでしょうから、我慢しています。
肌寒くなってますます美味しくなってきたのが、ヒマラヤダージリンです。毎朝の一杯が体にしみて、目覚めも快適な気がします。

エディーバウアーの20周年記念でもらった帆布製のトートバッグを最近、よく使います。中にはなんの仕切りもないので、小物入れなんかが必要だと、あれこれ、使い勝手の向上を考えていると、こういう本に出会う事になるのでしょうか?
前に革細工で手帳カバーを作って、それなりのできで楽しんだことはあるのですが、自分でトートバックを作るまでは行かなくても、いろいろ考えるヒントがありそうに思いました。

『帆布のバッグ』

家庭用ミシンで作るというサブタイトルですが、我が家には家庭用ミシンがないので、選択肢は二つ。かつて手帳のカバーを自作するために材料と道具を東急ハンズで購入して、見事制作に成功した道を辿るか、それとも、帆布のバッグの魅力を再確認して、たとえば、一澤帆布のバッグを、購入前提で見に行くかですが、まだ決めていません。
それでも、最近エディーバウアーの新宿旗艦店の20周年記念でもらった、キャンバス地のトートバッグは使って便利だったので、iPadの持ち運びを含めて、あれこれ妄想を膨らませています。

懲りない?

こういう時に、懲りずにダブルリングノートを買ってしまいました。国立西洋美術館コルビジェのスケッチが表紙のノートもあるというのにですが、文房具に対する偏愛とでもいのでしょうか、これを使えばきっとうまくいくと思うのですね。
ステーショナリーのちょっと角度の違う本書は、新鮮な発想のタネをまいてくれます。文房具をつい買ってしまう、まあ、言い訳ですが。

『文具の解剖図鑑』

使い慣れた文具や、お気に入りの文具の構造を知って、愛着が増す、というのは良いですよね。


Amazonでどうぞ

木造アパートの不燃化、耐震化の促進制度はないのか?

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

すっかり秋になりましたが、時として暑さがぶり返してきますが、それほど過酷ではないと感じられます。しかし、日本の各地の災害被災現場は、それどころではなく、心からお見舞い申し上げます。

怖いような気がするほど大きな花を、道端に見つけました。よく立葵が咲いているところですから、立葵だろうと思うのですが、この花の大きさは、なかなかのものです。気象変化とは関係ないのでしょうが、それでも、亜熱帯化している状況証拠のように思ってしまいます。

昨今の自然災害の激甚化は、地球規模での気候の変動を要因の一つと考えざるを得ないようなレベルに達したと思わざるを得ません。もちろん、シロウト判断ですが。と同時に、これまでの災害対応、特に行政レベルでの取り組みや、我々自身の災害対応に対する意識を、もう一度見直すことが急務のように思います。その意味で、現場を見ることの大切さを教えてくれるのが、この一冊だと思いました。

地震予知大転換』

 2016年(平成28年)4月に発生した熊本地震と、2017年(平成29年)の東海地震対策を巡る国の動きは、今後の地震対策を考える上で重要なテーマになっています。本書は、この2つのテーマを中心に地震予知の大転換を俯瞰し、地震防災の課題を明らかにしようとしたものです。
 特に私が感じたのは、ジャーナリストとして災害現場を取材して見えてきた、現行の法律の規定とその運用が、被災者の現実と乖離している部分の指摘でした。

住宅被害、余震による被害の進行をどう評価

 平成28年熊本地震の場合では、罹災証明書にかかる諸課題が指摘されています。例えば、住宅被害は、全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の4段階に分類され、全壊で最大300万円、大規模半壊では最大250万円の公的支援がある。それには、罹災証明書の発行が必要です。しかし、熊本地震の場合、活発な余震が続いたため、第一次調査で半壊と診断されても、その後の地震によって被害が悪化して、大規模半壊に変わる住宅があったりしたため、判定に不服をも嘘立てるケースが多かったことから、発行が遅れるということがあったといいます。
 現行制度は一度確定した判定を変更することを想定していない上に、罹災証明書を受けなければ仮設住宅への入居ができない仕組みになっている。しかし、まず住まいを確保することが生活再建への第一歩であることを考えると、罹災証明書がない場合でも、住宅に、現に住めない被害の状況があるのであれば、立ち合いによる確認書類等によって、暫定的な仮設住宅への入居を進めたり、証明書の発行について柔軟にするなどの課題が見えてきた、著者は指摘します。

災害救助法の見直しの視点

 災害救助法では、支援は、原則現物給付であるがこれを、抜本的に、現金給付にすることなどの見直しが必要という指摘も、大事だと思いました。災害救助法は、1946年に発生した南海地震の被害を受けて、1947年に成立した法律です。したがって、現在の日本の社会の現状とはかけ離れたところがあるのは当然でもあります。控えめに言っても、整合を取りにくいというところがあるのはやむを得ないでしょう。。
 国の基本方針や計画はありますが、例えば、住宅の耐震化について、2025年に耐震化率を99、5%とすることを目標にしているが、実現は難しい状況だとされています。特に、個人住宅ではなく、木造賃貸住宅などの耐震化を進めることが重要であり、そのための制度が必要という指摘は、目から鱗でした。
 これまで、木造住宅密集地域の地震の際の火災の危険性の指摘とその対策は、もっぱら個人の木造住宅の耐震化と不燃化の促進であったように自ら顧みて思うだけに、こうした共同住宅を対象とした不燃化、耐震化のための助成制度は必要と思われます。
 まずは、現状の確認をしてみようと思いました。
追記、いくつかの自治体では木造のアパートを対象にした補助事業がありました。特に、東京都23区の中など。全体の調査は進めようと思います。

Amazonでどうぞ

補助制度の追補記載をしました。
耐震化の目標年次、2020年から2025年に訂正しました。

持続可能性をイタリアの小さな村に探る

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

今日は一転、曇り空です。昨日の夜は今日れるな雷が発生して、夜の外出を控えてしまいました。

大学3年の時に、岡松邸の二階に下宿しました。我が部屋は一種小さな梁山泊といった趣で、年中、若者が、昼となく、夜となく集まってきたのです。下宿初日の深夜には、大家の息子のけんちゃんが大きな枕を抱えて、部屋のドアを叩き、それ以来、誰の部屋かもわからない有様でした。
当時の飲み物は、圧倒的にコーラで、若者は我が部屋に来るまでに、道端に捨てられていたコーラの瓶を拾って来るのが習わしだったのです。いつものパン屋で買うのは、ペプシのホームサイズ(ファミリーサイズだったか?)、ビン代込みで70円、ですから、買いに行く若者は、拾ったコーラの瓶7本を持って買いにいくのでした。
それからおよそ50年、その間コーラは飲んでいなかったのですが、この夏の暑さで、水分補給が大事になり、水ばかり飲んでいていささかのみ飽きたので、本当に久しぶりにコーラを飲みました。最もゼロカロリーのものですが。こんな味だったかと、不確かな味覚の記憶しかありませんでしたが、もはや若い日の強烈な刺激とはほど遠い、しかし、懐かしい味でした。

最近イタリアについて興味が湧いています。なぜイタリアには小さな村が厳然として息づいているのか、小さな共同体がなぜ存続し、次の世代にも受け継がれていこうとしているのか?
テレビ番組でイタリアの小さな村の暮らしを知ってから素朴な疑問が頭を去りませんでした。
そうしたら、こんな本を発見しました。

アルコールはやめているので、ヒマラヤのダージリンをゆっくりと飲みながらあれこれ考えるのですが、観光立国を唱える日本のヒントになることもあるように思います。


アルベルゴ・ディフーゾのおもてなしについては本書をお読みに。

イタリアの小さな村についての素朴な疑問が少しほぐれて来そうです。

ヒマラヤのダージリンについてですが、爽やかな白桃の香りと甘さを感じます。


Amazonでどうぞ


紅茶はこれです

働くって、雇われることだけじゃない

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

[

猛暑がぶり返してきました。自宅前で、保育園の建て替え工事が行われ、今は更地になっています。東の空にカメラを向けたら結構怪しい写真が撮れました。
子供の頃、ここはどっかの企業の社宅でした。小学校から中学校までの、同級生の子もいました。敷地内には、クローバーの群生する原っぱみたいなところもあったと記憶しています。
時の経過を感じます。それでも、自分自身は、その頃からあまり変わっていないところが多いように感じていて、年齢と認識とのギャップはどこから生まれてくるのでしょうか?

九十歳まで働く、やっぱり長いよな

ところで、人生百歳時代、九十歳までは働く時代が本当に来そうです。そんな時に備えて、心構えの問題として、こういう本も必要でしょう。ただ、面白い部分は、ソニーのトップの逸話なんですが。


「一ツ橋の卒業生は、頭が良くて成績もよければ官庁に入る。頭が良くて成績が悪ければ商社に入る。頭が悪くて成績が良ければ銀行に入る。頭が悪くて成績も悪ければメーカーに入る。」と著者は書いていますが、東大の場合はどうなんだろうと思ってしまう、昨今の官僚の世界の悲惨な有様です。

頭が良くて成績もいい人が悪事に手を染めるということは、どういうことなのか?

それと別に、本書のタイトルを読むと、そこまで働くのはうーんと考えざるを得ない。父は九十歳、母は九十四歳で亡くなりましたが、そうすると、父の場合はほぼ、死ぬまで働いたということでもあり、そういう視点で考えてみると、全否定の話でもなく、著者の話を聞いてみようという気になってくるのは、文体がさせるところもあるような文章です。
著者略歴を読めばわかりますが、多彩な伊藤忠からはじまる経歴に中で、ソニーという会社とそこでの出会いに並々ならぬ思い入れがあることが、前半の四割くらいを占めています。この辺を読んでいて、40年以上の付き合いの友人ユウイチ君を思い出しました。
ユウイチ君とは、彼が大学一年の時に出会いましたが、その時まで、熊のぬいぐるみを抱いて寝ていた、しかも、ぬいぐるみのクマの毛は垂らしたヨダレで房になっているという有様だったのですが、卒業してソニーヤングラボという会社に就職したのです。
やがて奥方の実家の家業を継ぐために退社して、設備工事会社の社長になっています。まあ、その間から今日まで、波乱万丈だったと思いますが、ソニーマンってそんな人も多いのではないかと思わせるものを本書から感じました。

こうすれば実現できる、というサブタイトルは、これらのことをしなければ、という内容もあって、やってはいけないことも含まれていますが、考えたり行動したり、自分でする分には手がかりになることが書いてあって、そこからの深掘りは自分でしなければならないものです。
働き方は、雇われて仕事をすることより、セカンドステージの働き方は、個人事業主のような、あるいは、フリーランスで少し稼ぐというのがいいのじゃないかと、楽な道に走りがちな私は、茨の道の選択をあえて掲げていますが。


Amazonでどうぞ

縁あり、

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。
亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げ、被災された方にお見舞い申し上げます。

さて、私ごとですが、自宅をリホーム中でして、すっかりブログの更新ができずにいました。ようやく工事も終盤に差し掛かり、少し居場所も確保できるようになりました。そこで、再開です。よろしくお願い申し上げます。

新宿にある公園で、甲虫が樹液に群れ集まっているところを発見しました。次の日にまた見に行ってみると、一匹もいませんでした。一日限りの饗宴だったのでしょうか?
今年の暑さは昆虫たちの生態にも影響が出ているのかもしれません。

様々な縁のある本を見つけました。

『sketchbookのすべて』

豊後高田市の「昭和の街商店街」の視察に行ったことがあります。昭和レトロな文房具屋で買ったのが、マルマンのsketchパッドだと、この本で知りました。
実は、このスケッチブックの製造販売をしていた「マルマン」の本社は、かつて、中野区中央二丁目にありました。
私の住んでいたマンションのすぐ前でした。今は一階はコンビニになっていますが、売り場にはマルマンの文具が置いてあります。
そのビルの裏手には、かつて、大学入学のお祝いに、従姉妹のヒロコちゃんから、クラシック家具の本箱をもらいましたが、その製造販売をしていた「東京木芸社」がありました。そこで働いていた職人さんとも活動仲間で友達でした。彼は数奇な人生を送って、その後の消息はしれません。

さて、このスケッチブック、絵を描くだけなく、案をまとめるにも都合のいい道具だと思い、早速、B6のスケッチブックをネットで注文しました。


Amazonでどうぞ

捨てられないTシャツ、持っていますか?

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。
メイ・ストーム、五月の嵐でしょう。それはそうと、着るものもTシャツやポロシャツになって、一層体型の乱れが気になります。

面白い、でも、あるなという本を発見しました。

捨てられないTシャツ (単行本)都築響一 著)

「考えてみると、『衣替え』ということをしなくなってから、もうずいぶんたつ。暑い時にはTシャツ一枚で、季節の変化に従って、スウェットやセーターを重ねたり、ジャケットを羽織ったりするだけ。」の、このごろのファッションは、若者だけでなく、団塊世代でも一緒です。
「いつごろからか、『ヨシなのか、ダメなのか判断に迷う』Tシャツには、着用する本人の確固たるいしや、根拠ない自信や、なによりも個人的な記憶が染みついていることが多々あることに気づいた」、というのが「捨てられないTシャツ」コレクションの始まりだったと著者は語ります。

ところで、「捨てられないTシャツ」を持っていますか?
私は、持っています。
二十数年前にバンコクの夜店で買ったカルバン・クラインのTシャツです。特別すごいエピソードがあるわけではありませんが、捨てる気にはなれません。
でも、大なり小なりのエピソードがあるので、捨てられなくなった、ということでしょう。
これがそのTシャツです。

ある種、体型についての標準原器の役割を果たしているところがあります。
もう二度と行くことはないであろうバンコクの夜店の喧騒はちっとも思い出さないのですが、若い頃の体型は確実にここにあります。

Amazonでどうぞ