いまなぜ、『ツタンカーメン』なのか?

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

立冬 第五十五候『山茶(つばき) 始めて 開く』

 いまにも、雪でも降ってきそうな空模様です。立冬、旬の果物は、意外な気もしますが、「洋梨」だそうで、つい、四、五日前にいただきものがあり、そろそろ食べごろになりつつあります。
 今日の珈琲は「マンデリン・ブラジル18」のブレンドです。


なぜ、僕たちは『ツタンカーメン』が好きなのか?

 今なぜ、『ツタンカーメン』なのか。それどころではないことは、中東情勢を見ればわかるだろう、というのはもっともなご意見と思えますが、だからこそ、『ツタンカーメン』に想いを寄せてみるべきなのだという逆説めいた状況があるのです。
 ジョー・マーチャント著『ツタンカーメン 死後の奇妙な物語』は、その辺の事情について、次のように記しています。



 「発見されてからわずか90年のあいだにミイラに起きた変化を考えると、あと1000年はおろか、数十年、数百年も残り続けられるだろうかと不安になる。
 戦争の脅威や政情の不安定さは、絵空事ではない」と。
 最新のCTスキャン調査とDNA鑑定をもとに、エジプト考古局が発表したツタンカーメンの衝撃的な「最終結論」に比べれば関心を呼ばなかった「アメリカ医師会ジャーナル」に掲載された5通の投稿から、本書は始まっています。「私たちはまだこの影の王に会える幸せな時期に居合せた。」と。
 「影の王」という言葉からは、発見者のハワード・カーターの、「私たちはまだツタンカーメンの生涯を解明していないーー影は動いているが、闇が取り除かれたわけではない」という言葉も思い浮かびます。
 しかしそれにしても、なぜ、僕たちは『ツタンカーメン』が好きなのか。ぼくも子どもの頃、この少年王の黄金の仮面を観に行ったことを思い出します。延々と並んだ挙句に、ようやくガラスケースの向こうの黄金のマスクにご対面したと思ったら、直ちにその前を通り過ぎなければならなかったことを。(そういえば、『モナリザ』もそうだった)。
 「これはツタンカーメンと王家のミイラを調べた人々の物語である以上にーこれは、私たちすべての物語である。」、「なぜこれほど彼にまつわる物語が好きなのか。なぜ、遠い昔の少年の運命を、これほど気にかけるのか」。

 著者による答えはこうです。「それは、このミイラについて調べるあいだにツタンカーメン自身ではなく、現在の私たちが見えてくるからだ。何が私たち人間を作り上げているのか。この頼りない骨の山を探っていくと、私たち自身の魂の奥底にあるものが見えてくる」。

 ツタンカーメンにとっては、人間の記憶から消し去られていた3000年間と、肉体的破壊によって永遠に終わりを告げる瞬間のあいだは、一瞬の閃光のようなものかもしれませんが、しかし、「いまの私たちに、ツタンカーメンについて確実にわかっていることが一つある。それは彼の名が、永遠に生き残るということだ。」という著者の述懐は、余韻を残して、僕らの中で響きます。
 
 

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