ガバナンスの崩壊はどこまで波及するのか

 「During the whole of a dull,dark,and soundless day in the autumn of the year,when the clouds hung oppressively low inthe heavens,I had been passing alone,on horseback,though a singularly dreary tract of country,and at length found myself,as the shades of the evening drew on,within view of the melancholy House of Usher.」
--------------- by Edgar Allan Poe

 班長の飯島です。
 「ガバナンスの崩壊」について考え始めたとき、なぜか思い浮かんだのが、英語の教科書にも載っていた、この、エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」冒頭の一文でした。日本の現状は、オリンパスに限らず、政府も、企業も、まさに暗澹たるていたらくに見えます。
 特に、オリンパスに関する報道については、やりきれない思いが、これに加わるのです。中学校の修学旅行の際に、近所のカメラ屋に注文して買ってもらったのが、オリンパスペンEE2だったし、今でも、オリンパスのカメラは好きなのですから。
 オリンパスは、現在、監理銘柄の指定を受け、このままいけば、上場廃止になるおそれについても報道されています。
 オリンパスの疑惑については、道具立ては、金融技術を使っているように見えて、実は、案外古典的な粉飾決算ではないかと思えます。証券投資での損失の穴埋めといっていますが、それは本当としても、1000億円(新聞等報道によれば)の資金環流のすべてがそれに使われたのかどうか、損失の詳細と穴埋めの方法が十分説明されない段階では、疑惑は、さらに、個人的なことにまで波及するかもしれないという、これも古典的な疑惑を排除できないのではないでしょうか。
 実態の解明は、金融庁証券取引所など当局に任せるとして、ここでは、財務分析の視点に関連して、現段階で気になることに触れておくことにします。(ここで、あれこれ言わなくても、きっと、事態は、さらに悪化して、へえっ、というような事になるでしょう)。
 
 その第1は、事件を報道しているマスメディアのことです。海外からの報道で、あまりに巨額な買収額や手数料の存在と、それをめぐる経営陣の対立によるトップの解任、退陣、解任について、注意を喚起されてはじめて動いた日本のマスメディアについては、なんと言われても仕方ないように思えます。日本のメディアでは、「FACTA]〈ファクタ)の活躍が、ネットの世界では高く評価されています。
 私も、ひょんなことから11月号を手に取る機会があって、「ファクタ」http://facta.co.jpのWebサイトにも行ってみました。面白いです。

 次に気になったのは、監査法人の顔ぶれです。「あずさ監査法人」、「新日本監査法人」の2法人が、マスメディアに登場していますが、この2つの法人は、これもまた別の件で読んでいた、りそなの会計士はなぜ死んだのか
 に登場する監査法人です。まあ、たまたまということでしょうが、気になるところです。税繰延資産の評価ということ、有価証券の時価評価による損失計上など、会計ルールの問題にかかわって、会社側と監査法人との間の意見対立、監査法人の変更など、似ているところがあります。

 そして、3番目が、円高、人口減少による内需の頭打ちなどにより、必然的に世界に出ていかざるを得ない日本企業の、会計の分野での国際基準、ルールに対する取り組みと、信頼性回復の問題です。

 特に、監査の機能強化については、何らかの措置を、世界から求められるのではないでしょうか。
 「監査は重要な虚偽の表示が財務諸表に含まれないようにすることを目的としていますが、重要な虚偽の表示のほとんどは意図的な、いわゆる粉飾です。〈中略)不正は、後で詳しく述べますが、大きな金額を動かし、数年間にわたって累積するのが通例で、その原因あるいは結果として倒産などに強い関連性を有しています。(中略)多くの場合、不正の行為者は企業の中枢にいて、経営や主要な事業運営に携わっています。」「不正」を許さない監査
  
 これも、別件で読んでいた本ですが、そういうことですよねという思いでした。ここから読み取ることができるのは、ガバナンスを担保するには、内部統制と監査機能の有効な運用がどうしても必要だということです。

 今回は、分析の前に、どうしても触れておきたいガバナンスの問題で終わってしましましたが、23特別区の財務分析の続きは次回に。