和も洋もお菓子は好きなんです


 偶然ということは世の中にあるのです。職場の同僚が、生年月日が一緒ということを知り、話が京都の旅におよび、そこで偶然知り合った人の妹さんが桂離宮のまえで和菓子屋さんに嫁いでいると聞き、京都に行くので寄らせていただきました。東京に帰ってきて後輩にその話をしたところ、その和菓子屋さんは有名で、とっくに知っているとのことでした。中村軒というそのお店は、本当に桂川のほとり、「かつらはし」のたもとにありました。座敷に上がって、いろいろ見て(興味深いものがあります)、名物の「麦代餅」などをいただき、お土産を買ったり(注文すると最中は作り始めます)、楽しい時を過ごし、奥様にもお会いして、写真の冊子もいただきました。
 中村軒のホームページhttp://www.nakamuraken.co.jp/index.htmlに毎月連載している「京のお菓子歳時記」は、平成21年2月に100回を迎えたということで冊子を作られたようですが、現在(今年の6月)で140回になっています。たんたんと続くことがどんなにすごいことか。
 それもそうですが、この冊子の写真をよく見ていただくと、手に取ってめくる側の隅の角がまるく、アールを切ってあることがわかりますか(白い三角形を置いてわかりやすくしたのですが、うむ、かえってわかりにくいかな)。おもてなしの心使い、お菓子がおいしいのは当然だと思いました。職場の同僚の皆さんも、お土産の最中には本当に喜んでいただきました。自分の分も用意しておきましたから、私も堪能しましたし、母親には「きんつば」を届けましたが、大変に喜んでくれました。
 実は、グローバル化の進む中で、日本のあり方を(頼まれたわけでもないのですが)いろいろ考えてきました。人口が減少する、高齢者が多くなる、工場規格の大量生産では新興国に追い抜かれるであろう日本は、むしろ、日本らしさ、ローカルであることが、これからの国のいきかたとしては正解ではないのかと思えてきました。「モノづくり」も、製品と呼ばれるものではなく、作品に近いもので、生活を豊かに、喜びや充足感をもたらしてくれる「ものづくり」が大事になると考えてきました。
 しかし、「和菓子」からはじめるとは思いませんでした。なじみも基礎知識もありません。しかし、天の助け、偶然というのはあるのです。別コースで読んでいた松浦弥太郎の新しいお金術に、「お金さんを追いかけない」という1節があるのですが、その中に、料理研究家のホルトハウス房子さんから京都の老舗「川端道喜」の本を紹介されたくだりがありました。(松浦弥太郎の新しいお金術については別コースで近日取り上げます)
こういう偶然は偶然じゃない、ということで、さっそく手に取ったのが和菓子の京都 (岩波新書)です。今回京都で、祇園の東山通りにある老舗で最古のお菓子「唐菓子」をウインドーに見つけました。そのときは、そういうものかと思いましたが、「和菓子の京都」に、「ぶと」、「まがり」として記述がありまして謎が解けました。もっとも、私が見たのは巾着型のものでしたが。

 この本の中で、特に、「餡」について、「アク」と火加減の話が印象的ですね。薪で餡を焚くことが京都の市中で許されなくなって、ガスで炊くことになっても、火加減を絶えず見る必要があるわけですが、それは「勘」でもってしていかなければ出来なく、その「勘」は、小豆選りや餡炊きの銅鍋の火加減をみることで、お祖父さんから、体にたたきこまれたものなのです。「菓子屋が食っていけるかどうかはうまい餡が炊ける職人になることだと一途に思っていた」のですから。「宮中の歳時記、茶の湯の四季」という章がありますが、和菓子には歳時記や四季という言葉や観念がぴったりきます。和菓子が時間の流れとともにあるものだからではないかと、つい、生意気なことを考えちゃいました。
 「和菓子のこれから」にこうあります。「〈業界の集まりで)他の産業がこうだから、われわれの企業はちょっとちがった発想をしてみようという気になぜならんのか、ということをよくいうんです。それは何も冒険することが嫌いだということをいっているんじゃなくて、独自性を見失ってあまりにも時代の風潮に洗脳されてしまっては、肝心なことを見失ってしまうんじゃないかということなんです。」
 生活の中に蓄積された「幕末維新京都町人日記」の町家の普通の米屋の親父のもっていた見識に、生活の豊かさの本質を見、初代の道喜と利休の交わりに歴史の真相を考えました。