つながりすぎ、複雑系、集団思考

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

『群れはなぜ同じ方向を目指すのか』


 アリはどのようにして、えさ場と巣の間の最短距離のコースを知り、仲間の集団に伝えるのでしょうか。複雑に見えるものも、実はシンプルなルールで出来ているのです。フェロモンが関係しているといいますが、とても簡単なことです。巣を出てえさ場に向かったアリが、最初に巣に帰ってきたとすれば、それが最短距離をたどってきたということです。往復のフェロモンは単純に2倍の濃さと考えると、次のアリがそのルートをたどり、そのまた次がということで、道ができるわけです。その他のルートは時間の経過とともに、フェロモンは薄くなり見向きもされないということになります。
 しかし、本書を読んでいると、どこかで出会った言葉に出会いました。「正のフィードバック」、「負のフィードバック」という言葉で、これは「つながりすぎた世界」に出てきます。しかし、注意しなければいけないのは、心理学とは全く違う正反対の概念で、正のフィードバックは、影響を拡大して危機を、負のフィードバックは均衡へと向かうプロセスとされる。
 どちらの書籍にも、正のフィードバックとの最近の事例として取り上げているのが、リーマン・ショックとその後に続いたグローバルな金融危機です。「つながりすぎた世界」によれば、今日の過剰結合はインターネットがもたらしたものですが、この過剰結合がリスクをもたらすのです。というのも、過剰結合がシステムの不安定性を増し、それがさらに過剰結合と不安定さを拡大するというものです。
 さて、「群れはなぜ同じ方向を目指すのか」にもどりますと、著者は「ビスケットのお茶への最適な浸し方」で1999年のイグ
ノーベル賞を受賞したレン・フィッシャーです。時節柄、ひとはそれほどの意識を持たなくても、たとえば最初に巣にもどったアリの跡を最短距離としてたどるように、雪崩を打ったような選択をするのかどうか、いがいな単純なルールがあえるかもしれないと思ったのですが、出くわしたのは、「集団思考」でした。
 集団が持っている多様性を使って最善の合意に達しようとする私たちの努力を何にもまして危うくしている人間特有の問題が、集団思考といわれるものです。
 「集団思考とは、集団内の社会的圧力によって、そのメンバーが『自己欺瞞、強制的な合意形成、集団の価値観や倫理観への順応等によって特徴づけられる思考のパターン』に押しやられる現象」のことだとされます。ですから、
集団思考に巻き込まれると、メンバーは共通の立場に立つことに同意し、どんなときにもそれに執着するようになります。
 ノーベル賞を受賞したこともある物理学者リチャード・ファインマンは、1986年のスペースシャトルチャレンジャー号爆発事故の調査委員会に加わったときに、集団思考を身をもって体験したようです。
 調査委員会は、コミュニケーション不足や基礎的な諸手続きなどといったNASAの管理運営体制のみに目を向けさせる集団思考にかりたてられていたのですが、ファインマンは関係者への聞きとりを行い、結論に到達することができたのでした。
 しかし、その後も事故は起きて、この集団思考の根強い影響力を示すことになったのでした。
 このファインマンの事例を取り上げた3冊目は次回に取り上げることにします。