「ものづくり大国」という掛け声の違和感

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。
 箱根駅伝、母校の中央大学が途中で棄権したというニュースに、本当に残念な思いです。
 捲土重来を期して頑張ってほしいです。


安全保障で優先すべきは
 元旦の新聞各紙は、どれもこんなものでしょうということでしたが、それでも読売新聞の、農水省に関するサイバー攻撃でTPP関連文書が流出したのではというニュースは注目モノでした。理由は二つあります。一つはかなり前から「感染」によりファイルやドキュメントが流出していたのではないかと感じていたのに、公式の発表がないことです。危機管理の問題だけでなく、盗まれたと思われる情報が、TPP関連であったことから伏せられてきたのかということです。もうひとつは、文字通りTPP関連情報だということです。TPPに関する交渉は、政府間交渉であり、この間の情報については、なかなか表には出てこないわけですが、このような情報は政府の機密性の統一規範でも、漏えいすれば国民の権利が侵害される恐れがあるか、行政事務に支障をきたす恐れのあるとされる3段階のうち2番目に位置づけられているとのことです。記事によれば、パソコンが乗っ取られて遠隔操作されていたとも思われます。「第5の戦場」とされるサイバー空間の防衛体制をきちんと構築することが、自衛隊の名称をどうのということよりも緊急性の高い安全保障にかかわる政策ではないでしょうか。


なんとか大国でなければだめなのか?
 一方日本経済新聞では、アジアにおける日本のプレゼンスの低下が取り上げられていましたが、この話題と絡めて、成長戦略や景気回復と絡めて、「ものづくり大国」の復権とか再生という掛け声がきかれることが多いのですが、いまさら「大国」であることがどんな意味を持つのかも検証しないで、掛け声だけでどうなるものでもないのではと思います。性能、品質の高いものをつくれば売れるという時代ではないとするならば、価格や機能を含めて、欲しいというものをつくることが出来ていないということなんでしょう。私にはものづくりはどちらかといえば中小企業の世界のように思えていましたが、それが違和感の理由かも知れません。
 ということで、これは国というよりも、あまりに大きくなりすぎた企業の問題なのではないかと思えてきます。大きなものは分割すれば、新しい企業のいのちが蘇えるのではないでしょうか。そんな思いで書店をのぞくと、奥村宏氏の『パナソニックは終わるのか』が目にとまりました。


 奥村氏は、会社学研究家ですが、今日の超巨大な企業の行動や不祥事などから、大きすぎるものは分割・解体して、適当な規模にすることで、会社としての在り方も活力も再生するという主張をされていますが、東京電力に続いて、パナソニックについても同様の主張をしています。
 しかも、ここからが奥村氏の持論たる所以ですが、分割した会社のそのうえに、パナソニックという持ち株会社を置く必要は無いというのです。「もともと松下は中小企業の集まり」という松下幸之助氏の言葉が紹介されていますが、それが独立するだけのことで、そのうえに御一人を置く必要は無いというのは、案外幸之助氏自身も今はそう考えるのかも、などという気もしているのですが。何とかホールディングなどというのでは、従来の手詰まりな状況をもたらしている、これまでの発想の域を出ないのではないでしょうか。これから、日本が本当に再生していくためには、会社のあり方を見直してみることも大事ではないでしょうか。考える手がかりがあると思います。

 「大国」に象徴される考え方を見直すことも必要ではないかと、私は、職人仕事をした経験から考えてみるのです。お勧めの一冊です。