ときに歴史小説を

 人鳥堂の飯島です。凄い雪でしたね。こういうときは小説ですね。歴史小説
 意見は私個人のものです。

葉隠物語」と曲者の魅力

 安部龍太郎氏の『等伯 〈上〉等伯 〈下〉』が直木賞を受賞されました。おめでとうございます。
 でも、ここでは、安部氏の『葉隠物語』を取り上げたいと思います。

 「葉隠物語」は、平成21年1月から平成22年の12月まで「月刊武道」という雑誌に連載されたものに加筆修正されて単行本として刊行されました。東日本大震災直後のことです。
 「葉隠」について書かないかとの誘いを受けたときに、安部氏は、連載される雑誌の性格から、読者が武道に携わる人々を中心にしているだろうこと、また、氏が敬愛する隆慶一郎氏の『死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)死ぬことと見つけたり〈下〉 (新潮文庫)』という先行する作品があることから、真剣勝負のつもりで引き受けたと、あとがきで語っています。
 「葉隠武士道」についても、するどい見方を示しています。たとえば、第六話「おうらみ状」には、佐賀の各武将が、鍋島直茂(藩祖)や勝茂(初代)に差し出した誓詞、起請文に記されている言葉について、作家らしい感性から、「この精神と言葉遣いは山本常朝が語った『葉隠』にきわめてよく似ている。「二無く」「部る」「一篇に覚悟」とは、『葉隠』に何度も出てくるなじみ深い言葉である。」と指摘した後に、「このことは葉隠武士道と呼ばれる主君一途の苛烈な精神が、龍造寺家と鍋島家の複雑な対立の中で、直茂や勝茂に忠誠を誓うために生み出されたことをうかがわせる。」と分析も示している。もちろん、忠誠を誓われる主君の人間的魅力の存在はいうまでもないことです。
 「曲者」ということばが随所に登場しますが、いわゆる曲者ではなく、いや、詳しくは本書を読んでいただきたいが、そうした、人々のエピソードが、小説としての面白さでもあります。もちろん、藩を背負ってたった人々だけでなく、作家が選んだエピソードに登場する人々は貧しい武士の、その妻であったりしている(第一九話「一夜の蚊帳」)。
 『葉隠』の語り手の常朝のエピソードも面白い(第一五話「小姓不携」)が、二代当主の光茂に初お目見えで手痛い失敗をして、「以後は不携と名のるがよい」といわれ自信を失っている常用に、中野数馬(この人も曲者です。光茂の嫡男の御側年寄役を務め、やがて佐賀藩を背負って立つと目されていた、事実そうなる)が語ります。「殿と自分は対等と思え」、「その覚悟が肝の底にすわっていなければ、殿のあやまりを正すことも、自分を磨きあげることもできない」というのです。
 「不携」についていえば、学ぶものがないという意味の「無学」と同じことだと知ることで、主従の絆に思い至るのです。

 「曲者」の活躍を楽しんだ後に、直木賞受賞作に向かいたいですね。

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