「市場化」と「ネット化」の出発した年

人鳥(ぺんぎん)堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


立夏 第二十一候『筍 生ず』

 筍も、竹の種類によって、生える時期はすこしづつ違うようです。
 今日の珈琲は、「モカ」です。


「あの時」が、転換点だった

 立花隆氏はその著『自分史の書き方』の中で、「自分史」と「現代史」について、次のように語っています。『「自分という人間」と、「自分が生きた時代」というものが不即不離の関係にあるということを何かにつけて意識してもらいたいということだ』。


 この意識と方法は、読書にも通じると思いました。つまり、自分史を意識して、本を読むということです。世代論などは、はじめからそのつもりで読んでいますね。取り上げられている世代ではない時でも。
 そして、まさしく、自分史を意識して読む格好のテキストが、土谷英夫著『1971年』です。


 「だれにとっても、社会に出た1年目は特別な年だろう。長い会社生活のなかでも、最も鮮明に記憶している年ではなかろうか。」と。著者にとっての特別な年は、1971年、「ニクソン・ショック」として知られる、ブレトンウッズ体制が崩壊して、やがて通貨が変動制へと移行し、中国が国際社会に登場し、インテルが世界初の汎用マイクロプロセッサを開発し、メールの名前と住所の区切りに「アットマークを」使うことを思いついた年でした。
 つまり、いまここにあるグローバル社会の基本構造が始まった年であったということ、そして、著者だけでなく、1年余計に大学生活という「長期休暇」を享受したベビーブーマーの私が、社会に出た年でもありました。
 それぞれの、発端とゆくたては本書でお読みいただくとして、通貨の変動相場制に移行するに伴い生まれた通貨先物市場の創設者のレオ・メラメドと、あの杉原千畝との関係、変動相場制への移行は、経済政策のパラダイム・シフトをもたらしたこと、「市場の領分」の拡大についての検討など、いまの課題の淵源を知ると、本書の巻末近く、「グローバル化は、豊かな国を貧しい国が追い上げる『世界のフラット化」と、それぞれの「社会の不平等化」が同時に進む複雑な様相を呈している。」ということばから、1971年からの流れが終わっていないこと、日本についていえば、新たなパラダイムへの適応がなされたとはいえない状況にあることを実感せざるをえません。

 とまれ、立花隆氏は、前掲書の中で、シニア世代になったら、自分史を書くことに挑戦すべきだと語っています。とりあえず、読書に自分史を意識して、面白い本を選んでみたいです。



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