「人が大事」ということは「教育が大事」ということでもあります

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

寒露 第四十九候『鴻鴈(こうがん) 来る』

 台風が近づいている気配を感じさせるような空模様です。次第に肌寒さも増していて、昨日は吉祥寺に最近できたユニクロで冬物の衣類などを購入しました。
 今日の珈琲は「イリガチェフェ」、なるほど、柑橘系の香りがするような感じです。でも、こういう表現は、珈琲を飲むのに必要なのかどうかはわかりませんが、確かにそういう感じはします。この一杯の向こうに、つながった、どこかの世界を想起させてくれます。


果たして今、私たちはいかなる社会に生きているのか?

 大げさな小見出しになりましたが、当然のことのように思っていた事が実はそうではなく、いつの間にか、いわば馴染みのない、違和感を感じるような社会で暮らしていたことを発見するといった気分に近いことが多くなったように思います。
 今という社会を、教育、学校、保護者という身近な要素を手掛かりに、平衡を失することなく(と、私には思えるのですが)示している、尾木直樹著『教師の本分 生徒と我が子の入学式、どっちが大事か?』を読んで、先日ファミレスで見かけた、ママともグループの姿が少し理解できるような気がしました。



 常に世論の動向を見誤らなったということを評論家の自負としてきた著者が、はじめて世論との距離を感じて、「もう私は古くなったのか、とも思いました。いやそんなことはない、とも思い返したり、ではどこに齟齬があるのか・・・・と」悩んだ事件が本書のきっかけになりました。
 その事件とは、埼玉の高校教師が我が子の入学式の方を担任のクラスの学校の入学式よりも優先させてしまったというものですが、ここから著者は「現代日本の『教師の本分』とは何なのかーーひいては、プロフェッショナルとは何か、社会貢献の高度な喜びが家族愛に収れんされている社会とは何なのか、そこに明るい未来は存在するのか」という重たいテーマ、社会の変化を「グローバルな視点から少し丁寧に」読み解いていきます。
 「教育の商品化」、「進む親子密着」、「リスペクトされない教師たち」、「不寛容が覆う学校」など様々に、教育と家族の問題を中心に議論は展開されていきますが、その中で感じることは、著者のきちんとした平衡感覚でした。
 モンスター・ペアレントについても、マイナスだけでなく、プラスの面も評価してなお、という著者の立ち位置は共感と納得できるものでした。そして、「LINEによるいじめ」を読むと、子どもだけでなくその母親をも包み込んだコミュニケーションワールドの姿がおぼろげに想像できるとともに、「強制退会」、「置き去り」といういじめの手口には、リアルとバーチャルの違いを超えた人の心に潜む悪意を感じます。
 そのほか、「職員会議」と『職員室」はすでになくなっていること、「結局伸びるのは中間の学力の子だけで、下の子には十分な手がかけられず、上の子にはそれに相応しい対応や授業を用意できていない」という「習熟度学習の弊害」など、知らなかったことの指摘に、目から鱗のおもいでした。
 

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