今、絵本がおもしろい

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

霜降 第五十三候『霎(こさめ) 時どき 施(ふる)』

 パラパラと、雨が時折降って、という季節、何かにつけてセンチメンタルになります。日本人好みとも言えるかもしれません。旬の野菜は、薩摩芋だそうです。若いときにはそれほどでもなかったものが好きになってくるということがありますが、薩摩芋もそのひとつといえます。子どもの頃、それしかなかったので食べていた乾燥芋も、今では結構高級なスイーツになっているようです。そんなこととは関係なく、乾燥芋(確かそう呼んでいたと思います)は、好きですが。
 今日の珈琲は「インド・モンスーンAA・アスピンオール」です。先日、『江古田珈琲焙煎所』(ブログはこちらhttp://egotacoffee.blog.fc2.com/)で求めたものです。
 写真で見てのとおりの、お店で、感じの良い店主と奥さまです。


お気に入りだった絵本を憶えていますか?

 私は、お気に入りの絵本がなんであったのか、あったはずなのですが、記憶が定かではありません。少し後の、坪田譲二の本は憶えているのですが。
 折に触れて絵本のことを考えるようになったのは、装丁に関心があって、坂川栄治+坂川事務所著『本の顔 本をつくるときに装丁家が考えること』を読んだときに、次のような一節にぶつかったからです。


 「子どもは薄い一冊の絵本の中から、練り込まれた愛情を見つけるのが巧みなのです。」、「子どもは好きなことは何度も繰り返します。好きな絵本は繰り返し読んでもらったり読んだりして、最後にはボロボロになります。編集者も含めた絵本にかかわったものにとっては、そのボロボロさこそが勲章なのです。」著者は、装丁に関しては、「ゲラを読まない」ことや、売ることが一番でデザインは二番になって、「肩の力が抜けてようやくプロフェッショナルになった、ということでしょうか。」と語る、装丁のプロで知られていますが、その著者にして、絵本の位置が何か特別なものとしてあることを知った思いがしたからでした。

 絵本の読み聞かせについて、特に、言葉との関係について、「ゼロ歳の子どもに読み聞かせるということは、どういうことなんだろうか」と漠然とした思いに、そういうことかという景色を見せてくれたのが、『100冊の絵本と親子の3000日』でした。



 私はどうだったのか、どのように言葉を覚えたのか、どんな反抗をして、自我の芽生えを過ごしたのか、親や周りの人への感謝の想いとともに、自分や子どもたちの姿を改めて感じる機会になります。
 「親子間での積極的な心の働きのあることが重要とカンが、それを実現するためのてだてとして絵本の読み聞かせを取り上げました。これは、絵本により色や形を与えることに中心的なねらいがあるのではなく、どのようないろやかたちであっても、それをとりあげてことばにするところに重点があります。乳幼児の周りにことばがおかれることが大事で、そのことが、ことばを中心とした発達に望ましい影響を与えるのです。」ということから、ゼロ歳の子どもへの読み聞かせの絵本にもことばはのっているのです。本書によれば、ゼロ歳の赤ちゃんの視力は、生後二カ月で、0,02、一歳くらいで0,3くらいだそうですが、それに対して、「この時期の聴力は非常に発達しています。」とのことです。
 『見ること』と『聴くこと』、乳幼児期における、その意外なあり様に、いろいろ考えてしまいました。
 絵本はおもしろい、です。

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