「茶室がほしい」といわれても

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。さらに、個人的なことですが、さらにひとつ歳をとりました、四日も前に。

小寒 第六十八候『水泉(みず あたたかさを) 動(ふくむ)』

 写真ではかすかですが、月がみえます。
 今日の珈琲は、「インド・モンスーンAA・アスピンオール」です。この豆の名前の由来は、コーヒー豆を輸送中、モンスーンにあって、雨で豆がぬれ、それを甲板で乾かしたところ、酸味、渋みがとれた不思議な味わいがしたということにあるということです。それで、高温多湿で運ぶようになったとか。理屈で考えれば、「あく抜き」したということでしょうか。
 フランスからのニュースをみていると、人の世には、決して踏んではいけない尻尾があるんだと思います。言い訳のできない「非道」は、決して許されないでしょう。


誰も言わないけど、いまどき「小津安二郎

 前回、「小津好み」について、気になったことを書いたので、少しチェックしてみました。「小津好み」ということでは、中野翠著『小津ごのみ (ちくま文庫)』がすぐに思い浮かびますが、今回は、『サライ』がらみで、『いま、小津安二郎 (Shotor Library)』を取り上げました。



 この本の中では、「小津好み」の一品は、57ページの茶碗です。それと、筆箱かなあ。前回紹介した一冊に通じるものがあると、私は思うのですが。それと、楽しく読めて、また、小津映画をみたくなったのは、俳優三上真一郎の話で、これ読んだだけで得した気分ですね。映画出演当時の彼のような若者、いたよねえ。大学時代、一緒のゼミだった、トレーナーの似合うカトー君とか。まあ、余談ですが。それと、鳥鍋の『ぼたん』、近くの『神田まつや』を含めて、尊敬する大先輩に連れて行ってもらったことなんかも思い出しました。


ここまで言い切れるか、「茶室がほしい」って

 さて、今回の本題は、こうゆう本もあるか、という気がしちゃうタイトルの、永江朗著『茶室がほしい。 (茶室から入る茶の湯の愉しみ)』です。

 
 


 書棚でこの本を手にしたら、なんだろうこのタイトルは、と、まず思いますね。
 茶の湯をやろうとしたら、茶室が必要なのか、そうだとしたら、どうゆうことになるのか。お茶はどこでも点てられるし、などなどかんがえると、きっと、何かあるんだろう、ちゃしつにぶつよくをかんじるのは、と、勝手に思っちゃうのです。うまいよねー。

 このとんでもないと思えるぜいたくは、どこから来るのか。書斎がほしい、というのは分かりますが、茶室はねえ。「まさか茶室がほしくなるとは。
 じぶんでも驚いた。あきれた。」
と、著者本人が冒頭漏らしているのですから、どうゆう本か気にならない方が珍しいと思います。まあ、茶事のあれこれもいろいろ学べて、楽しいですし、装丁・扉カットが南伸坊ということも、おおそうか、と、妙に納得ものの一冊です。

 で、著者のもう一冊の本が気になりだして、次回は、それを。本年は、気になるものの繋がりで、始まりました。


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