暑いから、並べてみました、面白くてから泣けるまでの本

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

大暑 第三十四候『桐 始めて 花を結ぶ』

 ホントに、暑いです。それほど何かをしなくてもいい年齢であることに感謝しつつ、それでも、その分体力と耐性が落ちているのだから、どっこいどっこいかなとも思うのです。

 

 今日は、ドミニカとブラジルとモカブレンドです。ややドミニカを多めに、モカを少なめにという気持ちで淹れました。思うのですが、最近テレビ番組で最も視聴するのが天気予報だなと。台風や豪雨の情報に限らず、今日や明日の天気が気になるというのは、都市に暮らす私たちにとっても、生物として、まずは気になる情報なんでしょう。ですから、古代から、気象についての関心は、農業従事者に限らず、最優先のことであり、そのために気候現象を観察しそこから、規則を導きだそうとしてきたとも思えます。
 そんな気持ちもあって、きっちりした気象についての基礎知識を押さえておこうと思い、横川淳著・三浦郁夫監修『身につく 気象の原理 (ファーストブックSTEP)』を書棚でみつけました。



現在の日本国内の天気予報は20km、5km、2kmのマス目を使っているので、、、

 ゲリラ豪雨が予測しにくいのは、じつは、天気予報に使われているマス目の大きさに関係があった、というのですが、詳細は本書に当たっていただくとして、著者に注目です。著者は、気象予報士ですが、予備校(でいいんでしょうね)の駅前校校舎長で、理科の主任という。京大理学部卒業で、同大学院理学研究科博士課程修了、専攻はエックス線天文学だとか。監修の三浦氏は和歌山地方気象台長、コラムも担当しています。
 最近の予備校の先生は、多彩な活躍をしている人が多い。まあ、教え方も上手だしね。
 コラムもおもしろくて、気温の予想に関しては、太陽からの放射と地上からの赤外線放射で決まるのですが、最高気温はそれが釣り合うところで決まり、最低気温は赤外線放射により温度が下がり続けて、太陽からの放射が始まるところで決まるということです。ですから「当たり前のことですが、気温の予想にはまず天気が晴れるか曇るかの予想が大事になります。」というわけなのだそうです。加えて、風の影響を考慮して、最高気温、最低気温の予想ができるのだとか。しかも、あくまでも「予想」ですからね。
 テレビに登場する気象予報士の水準も透けて見えてくる、がちで面白くてためになる本です。


それからそれへとつながる、「おじさん」という存在の大事さ

 今の日本にとって、おじさんの存在は大事だよね、と、自分で言うのもなんでしょうが、といったら、「おじさんよりは爺さんに近くない?」といわれてしまいましたが、いろいろ考えると、「おじさん」の存在感をたかめる生き方なんて言うのは、おじさんはあまり向きになっては取り組みませんね。平野甲賀のところで登場した、片岡義男ですが、永江朗著『おじさんの哲学』にも登場しています。



著者は、いつの時代も、世の中は「叔父さん」的な人を必要としている、といいます。叔父さんというと、内田樹高橋源一郎橋本治、の三人がまず思い浮かぶ、と著者は言います。「年齢的にはおじいさんなんですが、今の日本社会にとっては「叔父さん」なんじゃないか。」という著者の問題意識のあり様がうかがえます。
 それ以上にこころに残ったのが、鷲田清一です。それは、「叔父さんは聴いてくれる人です。聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場をひらくということであろう。」として、鷲田清一著『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』で示された姿勢を語ります。患者が、「私はもうだめなのではないでしょうか、」というとき、医療従事者以外は、「頑張れ」といい、看護師は「どうしてそんなことを言うの」と問い、精神科医は、「もうだめなんだと、そんな気がするんですね、と返す」のだそうです。そして、これは、解答ではなく、「患者の言葉をたしかに受け止めましたという応答」なのだというのです。うーん、と考えこみますね。聴くことの力については、本書を読んでください。と、それからそれへとつながっていくのです。


 さらに、それより興味深いのは、片岡義男です。『10セントの意識革命』のことが紹介されています。ケネディのフロンティアの演説、資本主義のフロンティアの消滅、「縮小都市の挑戦」のアメリカの精神、場の移動の精神、フロンティアの移動が経済的、社会的な成功あるいは夢の実現と不可分だった、ということを抜きに、日本人のメンタリティでこの演説を理解すると間違いかもしれない、などと、改めて、この作家の立ち位置を見直します。



突然ですが、千日谷会堂が建て直しに

 JR信濃町駅を出て南に坂道を下ります。高速道路の下に、千日谷会堂があり、社葬などが行われていることも多いです。その坂道の樹木が、ある日、大幅な剪定をされていました。まあ、蚊に刺されてデング熱にでもなると嫌だから、さっぱりとしていいかもね、と思っていましたら、それから間もなく、建築行為の看板が立って、そのための剪定だったかと気がつきました。
 この千日谷会堂で、小沢正一さんの葬儀が行われたことを知ったのは、三田完著『あしたのこころだ 小沢昭一的風景を巡る』を読んででした。


 おじさんといえば、この人を忘れてはいけないでしょう。ラジオから流れてくる声は、いつの頃からのおなじみだったのか思い出せないほどです。葬儀の場所が、青山斎場でもなく、芝の増上寺でもない、信濃町の千日谷会堂、というのが、「小沢正一好み」なんだそうです。本書には、小沢正一の小沢正一的美学が随所に語られ、そうかと思うとともに、著者の小沢正一によせる愛情に、臆面もなく泣ける爽快さがあります。


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