”ジャズとは、一分の曲を一分で作曲すること”

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

小暑 第三十三候『鷹 乃(すなわち) 学習(わざをなす)』
 そういえば、最近、オオタカでしたか巣立ちと土木工事のニュースを見たような気がしましたが。旬の野菜、ズッキーニは南瓜の仲間なんだそうです。

 本当に暑くて、私自身も昨日は軽い熱中症のようでしたが、首筋を冷やして、かろうじて大事に至りませんでした。さらに今日は暑いようで、細心の注意が必要でしょう。
 今日の珈琲は「ドミニカ・ブラジル」ブレンドでした。


岡田暁生+フィリップ・ストレンジすごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話



 まず、表紙のタイトルのタイポグラフィーを見てください。『ゴウガグロテスク』でしょう。背表紙の丸ゴチは、なにやら、前回取り上げた『東京昭和十一年』を思わせて、これだけでも、「平野甲賀」装丁ではないかと思わせるかもしれません。
 実は、モダンジャズについて、その演奏家について知りたいことがあったので、破天荒なジャズメンたちの伝説的なエピソードではなくて、彼らのすごさについて、あくまでも音楽そのものに即した、門外漢もなんとかわかるような本を探していて、この本に出会いました。そしたら、平野甲賀装丁という縁もついてきました。
 たとえば、興味を強くひかれる作家がいて、彼がどのような人物か知りたければ、彼の作品で、音楽や絵画などの趣味の世界の何を取り上げ、誰の作品を登場させているかを、まず知ることが必要でしょう。そして肝心なことは、なぜ、それらを取り上げたのかということを問うのではなく、取り上げられたそれらの音楽やアーティストとはどんなものなのかを知ること、それが、興味をひかれる『彼』について知ることにつながる、という方法を採用したからですが。
 それはさておき、岡田暁生氏は、京都大学人文科学研究所教授、専門は音楽学、一方のフィリップ・ストレンジ氏は、キース・ジャレットの即興についての論文で博士号を取得、クレア・フィッシャー、ヴィンス・マッジョに師事、ジャズピアニストとして、ジョー・ヘンダーソンルー・タバキン、ケヴィン・マホガニーらと共演しているというキャリアの持ち主です。

 初めにも少しいいましたが、本書は、「モダン・ジャズの巨匠たちの『すごさ』について、あくまでも音楽そのものに即しつつ、少しでも具体的にその一端を明らかにしようとするもの」でして、これまで「かんじんの自分が惹かれるこの音楽のどこがどうすごいんだろう?もう少し具体的に知りたい!という素朴な疑問に、なかなか応えてもらえないのだ。」と嘆いていた人への、「門外漢」を排除しない、参考書になるでしょう。読み物としてもおもしろいですし、実際にストレンジ氏にピアノを弾いてもらいながら、肝の部分を語るのですが、さいわいなことに、主だった譜例や音楽理論についての説明について、ネットで流しています。

 ちなみに、サイトはここです。http://artespublishing.com/books/86559-000-5/

 本書で取り上げられているミュージシャンは、アート・テイタムチャーリー・パーカー、マイルズ・デイビスオーネット・コールマンジョン・コルトレーンビル・エヴァンスの六人です。そして、私が知りたかったのは、ビル・エヴァンスのことでした。本書の扉には、彼の言葉が掲げられています。
 いわく、『ジャズとは一分の曲を一分で作曲することである』。このことを別の言葉でストレンジ氏は「ジャズはいわば、プレ・コンポジションとリアルタイムでなされるコンポジションとが混ざり合ったような音楽です。」と語っていますが、ジャズの実質が、「リズムとメロディー、ハーモニー、形式、そして音色にほかならない」ことを、本書と、サイトで実感してみると、世界が広がる気がしてきます。「すごいジャズ」の理由には、すごい理由があったのです。

 蛇足ながら、本書で紹介されているアンデルス・ヨルミンというベーシストのエピソードが、私が関心を強くひかれる作家についての、理解につながるヒントのひとつのような気がしました。

 

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