江戸の熱狂する情熱の世界と、『まんまこと』

ぺんぎん堂の飯島です。意見は私個人のものです。

立秋 第三十七候『涼風 至る』

 大気の状態が不安定という天気予報です。早朝の西の空はなるほど、不安定な感じもするように、予報の後では感じます。
 今日は、「キリマンジャロ」と「ブラジル・サントス」のブレンドでした。


『江戸奇品』とは?

 テレビドラマ『まんまこと』をみていたら、『万年、青いやつ』の放送で、かつても取り上げたことのある、『江戸奇品』のことを思い出しました。ドラマのほうは、万年青(おもと)の珍種をめぐるトラブルを、主人公の麻之助が、玄関先で裁定するのですが、ここに、重要な登場人物との出会いの場があったりして、物語の構成からみると、なかなかの章なのですが、それはともかく、万年青の同好の士による品評会のようなこと、植木屋の職人、万年青をさまざまなことから『奇品』のことを思い出したというわけです。そこで、調べてみたら、次の本が出ていました。
 
江戸奇品雑記浜崎大 著)



そこで、『奇品』とはなにか。定義としては、本書によれば、「奇品とは江戸中期から幕末にかけて奇品家とよばれる好事家によって栽培された鉢植えの植物である。斑入りや葉変わりなど、微妙かつ繊細に変化した葉を観賞の対象とする。」ということになります。
 「奇品は一枚の葉を観る植物である。花は原則的に奇品の範疇ではない。」とされ、さらに、「幹の太さや枝振りは、奇品の価値とは無関係であり」というもので、『奇品』にかけた江戸時代の奇品家と呼ばれる人々の、熱狂した情熱は、私にとっては、到底理解の及ぶところではありません。
 しかし、昭和20年代、私の子ども時代、まわりには、万年青を熱愛する、大概は初老から高齢の人々がいて、『縁付』という、ちょっと変わった格好の植木鉢に卵の殻を並べていたり、筆で葉の一枚一枚を、大事に撫でていたりという、景色を普通に観ていたことも事実です。 
ギミックもある本書の楽しみ 
 ボタニカルアートや、蘭の珍種への偏愛など、植物はときとして、動物である人間の深い何かに根本的に働き掛けるものがあるのではないかと思います。


 本書には、奇品によせる奇態な情熱を垣間見させるような、大竹茂夫の挿画の仕掛けがあります。それに、現実に生きている「奇品」の写真をみるという、これまでの図譜ではわかりにくかった現物への接近もあります。しかし、これらの奇品の現物はいつもはどこにあるのでしょうか。

畠中ワールドのホントは緻密な物語構成

 それはともかく、本書を読んでいて、畠中恵著『まんまこと (文春文庫)』の世界がより見えてくる気がします。

 本書によれば、たとえば、江戸時代、享保から文政年間にかけて著名な百七人の奇品家がいたことや、『連』と呼ばれる、同好の人々の、身分を超えたグループがあったこと、連の開催する奇品の展覧会は一般に公開され、観覧自由であったこと。なかでも、天保三年の九月に蔵前八幡社で、水野忠暁の呼びかけによる小おもとの展覧会が開かれたことなどが知られます。
 さて、そんな目で、改めて畠中作品を読んでみると、主人公のお気楽な性格を反映したかのような軽妙な文体の裏に、じつは綿密な取材や、緻密に組み上げた物語の構成、五冊まで刊行されているシリーズを貫く通奏低音、恋と愛と親と子、ひとのかかわりにひそむほろりとした哀歓などですが、ちなみに、第一話の『まんまこと』と、第三話の『万年、青いやつ』に、そうしたものの全体がうっすらと見えてくるようです。五冊のタイトルを並べて眺めても、そうかも、と思うでしょう。とりあえず並べてみました。
 最新刊は、まだ文庫じゃないです。


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