グーグルが決して昼寝をしないということはどういうこと?

 班長の飯島です。九州の豪雨、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 意見は私個人のものです。

 つながりについて、前回からの続きです。
佐藤可士和:監訳、解説って?
 今治タオルから佐藤可士和氏というつながりが前回見えましたが、その佐藤可士和さんが「監訳」、「解説」ということで引っかかってきたのが、「見えてる人」になるたった1つの法則です。

 この本のメッセージは、大事なことはまずやることだ、というのが、佐藤可士和さんの解説でも言われていることです。佐藤可士和さんの本や仕事が解説されることは大いにありましたが、解説だけじゃなくて、監訳ということになると珍しいと思い、手に取ったのです。
 しかし、もう少し考えてみないと、自分で自分の背中は押せないでしょう。原題は『POKE THE BOX』です。つまり、「箱を突け」ということですかね。著者のセス・ゴーディンさんは、子どものおもちゃに与えられたスイッチやツマミが付いている、点灯したりブザーが鳴ったりする箱のことについて述べている。子どもはあれこれいじって箱について、ああこれをいじるとこうなるのかと経験する。そこで、彼は言う。「人生もこの箱と同じ。まずは、いじってみないと始まらない。」、「箱を知る方法はただ一つ。しっかり突っついて、何が入っているか、その中身を確かめることだ。」。中身がよくわかることで、自分が主体となって物事を進められる、というのが物事をはじめ、リスクを整理する上で大事なことだというのです。


グーグルがすごいのはたくさん失敗したからだということ
 グーグルと競合他社との違いは、何だと思いますか。セスさんによれば、「検索という一つの技術革新のみに固執するだけでなく(もちろんそれは現在もグーグルのビジネスの中核の一つだが)、新しいツールや新しいプロジェクト、ソーシャルメディアの新しい手法、といった新分野への投資(過度の投資という人もいるが、それは間違っている)を、かえって加速させた」ことです。だから、グーグルは失敗もしている。でも、「それはそれでいいのだ」といいます。なぜか?
 うまくいっている人はたくさん失敗している人でもあるからです。ジャグリング、ほら、ボールを何個も投げ上げ、次々に受け取りまた投げる軽業ですが、そのコツは、ボールのキャッチではなくて、いかに上手にボールを投げ上げるかにあると、この本では語っています。うまく投げ上げれば、ぴったりのところにボールが落ちてくるのだからつかむのは自然にうまくなるというのです。
 では、投げるのがうまくなるにはどうするのでしょうか。
 そう、「答えは簡単、投げてみるしかない。」。
 見えている人になりたいのであれば、そう、「答えは簡単」、うまいですね。


文殊の知恵』は、なぜ3人なのでしょうか?
 博報堂っておもしろいですよね。電通がスリーピースのスーツだとすると、ポロシャツ、デッキシューズみたいなところがあるように思えます。その博報堂の研究開発局が気づく仕事という本を出しています。

 目先が変わって気づく切り口が面白いです。たとえば、「文殊の知恵」にあって「烏合の衆」にないもの、とか、なぜ、文殊の知恵は二人ではなくて三人なのか、とか、「会議」と「打ち合わせ」の違いとか。「打ち合わせ」というのは、雅楽の演奏に由来する言葉で、楽器の演奏者がリズムを合わせるために「シャク」(聖徳太子肖像画で手に持っている板です)を使ったこと、さらにさかのぼると、平安時代、宴席の参加者たちが、音楽に合わせて、互いに手に持ったシャクを打って合わせたことに始まるんだそうです。参加者が、自発的に相互に打って合わせて、共同で一つのリズムをつくりだしていくのです。
 コントロールが効いた「会議」との違いはそういうことだというのです。まあ、ジャズのジャムセッションということですかね。全体と個のありかたが、それぞれの音を出して、それが一つになるためには、彼我の気づきがなければうまくはいかないでしょうね。何かを生み出す、創造性につながる共同作業へのヒントがあると思います。


一行あける
 上記二冊の本を読んで、気づいたことがあります。それは、「一行あき」です。これは、吉田篤弘氏の木挽町月光夜咄に出てくる話です。

 これは、なるほどで、読んでいただくしかないのですが、発想本とかアイデア本とか、気がつけば、一行あきが多いですよ。なるほど、なるほど。