下村治氏「国民経済」の基本にあるもの

 人鳥堂の飯島です。2009年に文庫本として復刊された下村治氏の『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫)』を取り上げたいと思います。
 意見は私個人のものです。

貿易収支の赤字はどこで生まれているのか?

 1月24日に財務省が発表した「平成24年貿易統計」(速報)で、6兆9273億円という過去最高の赤字になったことが伝えられました。報道の発表資料を見て不思議に思ったのは、地域別貿易動向で、米国、EU、アジア、中国がかかげられていますが、米国が5兆1029億円の黒字、EUが1397億円の赤字、アジアが3兆5714億円の黒字、中国が3兆5213億円の赤字ということで、中国の赤字が目立ちますが、この4地域での収支を見るとおよそ5兆円の黒字ということでしょう。するとおよそ7兆円の赤字はどこで生まれているのでしょうか。財務省の担当部署に電話で聞いたところ、特に目立つ地域は無いとのことで、全体としてこういう結果だそうです。それと、全体の数字を見ると、輸出はこの4地域で約63兆円に達していますが、輸入についてはおよそ11兆円程度他の地域からのものという数字です。(詳しくはhttp://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st/gaiyo2012.pdf。
 貿易収支については、これまで、輸出は稼げるところで稼ぎ黒字を出してきたものが、全体としては円高で、赤字基調なのか(経済学の常識ではそうでしょうね)とも思えますが、日本経済の競争力の喪失をいう識者の説明もいまひとつピンときません(比較優位があるなら競争力はあることになります)。
 そんな時、レーガン政権時代の日米貿易摩擦の問題からはじまる下村氏の『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫)』を手にしました。先にも触れたように、本書は26年前、日本経済がバブルに向かうさなかに書かれ、リーマンショックの後に文庫本として復刊された書籍です。タイトルは、別の人の著作を想い浮かばせますが、書かれていることは別物です。


経済活動は国民が生きていくためにある
 特に、「国民経済」(最近はこの言葉を聞きません)について、「この一億二千万人に十分な雇用の機会を与え、できるだけ高い生活水準を確保する、これが国民経済の根本問題である。」あるいは、「経済活動はその国の国民が生きて行くためにある。国民の生活をいかに向上させるか、雇用をいかに高めるか、したがって、付加価値生産性の高い就業機会をいかにしてつくるか、ということが経済の基本でなければいけない。」という文章に出会うと、昨今の政治家の発言に引き比べて、「なんのための経済か」という背骨の存在を感じる思いがします。
 「雇用」の創出の前提にある考えが、デフレ脱却のためであるのではなく、国民生活の向上のためであることではじめて、結果としてのデフレ脱却があるのではないでしょうか。
 下村氏の志操というか「はら」の有り様については、氏が佐賀県出身で、先祖は「葉隠」にも登場する下村生運であることなどが巻末の解説に触れられていますので、そうなのかとも思えてしまいます。(余談ですが、葉隠には、「三馬」とか、「三生」とか、同じ文字を名前とする三人の「曲者」がよく登場します。下村生運も「三生」の一人と言われています。)
 それと、学生時代を思い出して懐かしいのは、「所得倍増計画」の骨格となった、設備投資から「産出効果」となり国民経済を拡大させるという下村氏の成長理論の核心が、ハロッド・ドーマーの成長モデルの核心を独自に展開したものだという解説の指摘です。
 下村氏が「縮小均衡」、「ゼロ成長」を唱えたのは、「これからは中国が急速に経済成長する。なにしろ十億人の人口だから、資源エネルギーの消費量は膨大になるだろう。とてもこれまでのように、ヨーロッパや日本などの先進国中心に資源、エネルギーを使いたい放題使えるということはなくなるだろう。したがって、対局的に言うと、これからの成長はこれまでの成長より低くはなっても高くはならない。そういう制約のもとで先進工業国はすすむほかない、と思うべきだ。」と著書にあるように、資源エネルギーや環境が経済成長の天井になることをいち早く感じたからでしょう。
 さらに、本書では、「エレクトロニクスが情報通信のイノベーションをもたらしているというという人も多いが、その結果はマネーゲームを促進、横行させるのに終わっているだけである。」と、昨今の状況を指摘するかのようなところもあります。
 下村治氏の再評価は大声ではないけれどもあります。特に、平川克美氏の『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』の第4章で平川氏は意外感を持ちながら、「この計画全体を覆っている思想、あるいは哲学というものが、いわゆる、格差の是正、国民経済の均衡ある発展だというところです。」と述べ、「現在言われている、国際競争に後れをとらないためであったり、繁栄を享受し続けるためのものであったりする経済成長戦略と下村の経済成長論の著しい違いは、この国民経済という視点です。」と語っています。
 とまれ、昨今は経済学の正統みたいなことからの議論も多くなってきていますが、社会科学としての経済学も、真理の探求にとどまらず、最後は人間の幸福に貢献するための政策として生かされていくべきだという思いが強くする昨今です。


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文庫としての復刊は良かったです。もっと取り上げられていい人だと思いますね

こういう考えも、全部ではないけど、有効だと思います。