記憶のなかの街と生活史

 人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

 さて、ダイアリーのタイトルも、より趣旨に沿うものに少し変えました。「本を推す」ということです。あ、それと面白そうな「こと」や「もの」も。


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散歩の本
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 「街を歩いていて、ふと、通りに交差する車止めのある路地や、蛇行した遊歩道、あるいは家々の隙間に細長く続く空き地に出くわしたことはないだろうか。そこでは、どこにも水など流れていないのに、路上や看板に「水路敷」と書かれていたり、橋の欄干を見かけたりする。ときにはコンクリートの敷板がずらっと並んで続いていることもある。これらはいずれもかつて川が流れていた場所だ。」という文章ではじまる『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』は、「暗渠」と呼ばれる川の流路の痕跡を、意識して、たどることで、町名や坂の名前などが単なる名前ではなく、地形と結びついて、関係性を持って立体的に浮かび上がり、今までと違う別の風景がたちあがってくるという、東京山の手地区の、暗渠探索の面白さを語った本です。

 私ごとながら、本書で取り上げられている桃園川は、子供の頃遊んだ川でしたし、暗渠になってからは、修景事業も進めました。さらに、今日、カロリー制限の食事と共に、毎日の運動が課せられた身としては、「尾根筋の用水路=「動脈」と谷筋の河川=「静脈」の関係で出来上がった、水のネットワークが浮かび上がってくる。(中略)いったん暗渠や川跡がつなぐこのネットワークのレイヤーに気がつくと、地名や地形はつなぎ直され、眼前の風景の下に潜む、今まで把握していた座標系による姿とは異なった東京の空間が立ち現れてくる。」という一文に出会うと、「ブラタモ」的で嬉しくなります。
 暗渠化は、関東大震災や昭和初期に流域の宅地化を経て、昭和36年(1961)の「東京都市計画河川下水道調査特別委員会委員長報告」、通称「36答申」、昭和39年の東京オリンピックを控えていたなどにより、一気に進んだということです。
 今は、地下に隠れ姿を潜めている川沿いの土地のささやかな生活史、自然史という土地の記憶を掬い上げていけば、「そこに記憶としての川は流れ続けるだろう。『千と千尋の神隠し』で、埋め立てられた川の化身「ハク」が千尋の記憶によって「琥珀川」の名前を取り戻したように。」というのはかっこよすぎるかもしれませんが、私に、そのひとの記憶がある限り、そのひとは存在し続けるというのは、きっと、ありです。
 渋谷川神田川、目黒川、呑川石神井川のそれぞれの支流と、玉川上水千川上水、品川用水、三田用水が取り上げられています。きっと、あなたの身近にも、暗渠があるのでは。
 いきなり乾いた視点ですが、暗渠も東京では、観光資源になるということでしょう。

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