ノスタルジーではなく居心地の良さ

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

「旅」は良い(あまりにも当たり前のことですが)。
 理由がなくても、旅に出る必要があります。それも、昨今のニッポン見直しに便乗して、唱えている方々の思惑とは関係なく、日本のなかを旅する、これも昨今の為替の動向を考えれば、筋が通っているとも思えます。
 なにごとにもとっかかりというものはあるもので、これまで、映画やテレビドラマで接していた、浅田次郎の小説は、村上春樹のそれのように、私には気力が続かないと思い込んでいる場合とちがって、単に縁がなかっただけなのですが、本屋でこの本を見かけて、縁が結ばれたということでしょうか。その本とは、
浅田次郎著『かわいい自分には旅をさせよ

 「時があわただしくめぐっているのではなく、私が走っているのである。結果ばかりをいたずらに追い求めて、人は走り始める。(中略)時間を恢復するためには旅に出ることだ。感動に出会うとき、時はたちまちその動きを止める。」
 親しい人と水杯をして出掛けていた、かつての旅の時代なら、「かわいい子」の成長のために旅をさせるということも、成立スしたのでしょうが、今や、極めて少ない例外を除けば、日本国内の旅は、快適で、苦労はいりません。だから、子供を旅にだすくらいなら、かつて太宰治が語ったように、「子どもよりも親が大事と思いたい」ということで、著者のいう「かわいい自分」に旅をさせるべきなんでしょう。
 この本は、まず、見た目(装幀ですね)からして、一見、かわいく見えます。私も、思わず、タイトルがあまりにも当然なので、つい、手にとってしまったのでしたが、祇園の夜桜(与謝野鉄幹とあった後の、晶子の和歌がおもわれる)「円山公園大枝垂れ」からはじまり、「壬生義士伝」が「よし帰れずとも帰るべきところがふるさとである」という言葉で絵解きされ、「蒼穹の昴」から「マンチェリアン・リポート」にいたる三部作は、現代中国のある種の伏流水をおもわせます。
 この本は、京都への想いへの本や、司馬遼太郎著「韃靼疾風録」など、取り上げたい、様々な糸口になっているのですが、ここでは、いま、注目の、「幸福な旅」といわれる、大名行列小説、著者の『一路(上)』、『一路(下)』を取り上げておきたいとおもいます。これは、若者の成長物語であるとともに、ロードムービでもあります。主役は、中山道だと著者も語っていますが、形が残ればそこに文化が残る、という著者の言葉からすればうなずけることです。
 これは、また、映画になるでしょうね。


 そのためではないでしょうが、中山道の著者によるガイドブックも出ています。

 京都の本や、中国関係、そして、道については、おいおい取り上げたいとおもいますが、若葉青葉の頃、時の止まるような旅に出るためにも、お薦めです。

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