「カタチから入る」、懐かしい!

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

普通の人の努力

 さて、本書、斎藤兆史著『努力論 (中公文庫)』ですが、良いのは、今日からの生き方にげんきがでることでしょう。「努力論」ということでは幸田露伴のそれがよく知られているところでしょうが(もっとも今日では知らない人の方が多いかもしれませんが)、本書には、懐かしくもそうだとうなずく努力にまつわる見識がたくさんで、嬉しくなります。いわく、「忘れ去られた『型』の重要性」として、「『型』をまねて、いつしか、そのものになっている」ということでは、「型から入る」という、先輩の言葉を思い出しますし、「こだわり」は正しい努力のありようではなく、「こころがなにかにひっかかって本来の目標に向かっていくことが妨げられている状態」という指摘には、うなずくものがあります。
 著者によれば、努力には、「立志」、「精進」、「三昧」、「艱難」、「成就」五つの段階があるということですが、今日、努力は、人々にとって、どんな位置づけになっているのでしょうか。努力軽視の風潮みたいなことが言われていますが、実は、案外、皆さん、努力の必要性を認めているのではないかと、私は、思っています。
 天才もまた、努力の所産であるならば、普通の人である私にとっては、努力は計り知れない力であると思わざるを得ません。努力は決して裏切らないのであって、努力を裏切るのは人の方だと、自戒せざるを得ません。
 しかし、本書は、単に頑張ればいいと言っているのではなく、頑張るだけの人は「我に張り者」という視点にも触れているなど、努力のあるべき方向を示してもいるのです。

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