植物、都電、鴨長明・方丈記

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

 家の前に縁台を出して、通る人に時々声をかけながら、本を読むという暮らしを夢想していましたが、家人の反対にあうまでもなく、この暑さでは、とてもとても。そういえば、京都だったか、「ばったり」という折りたたみのような縁台があったような気がしたんですが。
 そこで、家の中で、冷房を軽めに効かせて、「お値段以上」の椅子に腰掛けて、本を読むことにしています。こういう時期に読む本というのは、別に決まっているわけでもないのですが、三木成夫著『内臓とこころ (河出文庫)』を読んで以来、内蔵系の知見に惹かれるような気がしています。


ダーウィンは植物学者だった
 そこで、チャールズ・ダーウィンが、『種の起源』発表後の20年間に、現在の植物学研究につながる一連の実験をしていた「植物学者」でもあったことからはじまるダニエル・チャモビィッツ著『植物はそこまで知っている ---感覚に満ちた世界に生きる植物たち』です。植物の特別な能力についての、きわものの本は結構ありますが、この本は、一線を画していると思います。

 それに、綺麗な本です(変な言い方ですが)。ダーウィンは、ハエトリグサを含む食中植物研究の第一人者になった、と著者は語っていますが、19世紀の論文が今日なお、「引例に使われている」ことでもダーウィンが植物学者であったことが知られるというのですから、進化論でのみ知られるダーウィン像を修正しつつ、植物と私たちとの、感覚における驚くべき共通性と違いの探索は、エキサイティングでもあります。実験によって確かめられたとこ度から、植物は、視覚や嗅覚、触覚、位置感覚、記憶などについて、動物の受容器とは違うとしても、感覚器を持っていることは事実のようです。私としては、体壁系の頂点に立つ脳ではなく、内蔵系の心臓に思いが行くのも、内蔵が植物系のものであるという『内臓とこころ』の影響ですね。
 植物が、接触その他の物理的刺激にどう対応するか、生物としての振る舞いとしては、植物と動物で違っているのですが、信号の発生という細胞レベルで見ると、驚くほど似ているといいます。第6の感覚の「固有感覚」と呼ばれるものは、私たちが体を動かした時に体の各部が、互いにどんな位置関係にあるのかを、いちいち見て確かめなくてもわかるというという感覚ですが、これは、普段意識しないだけに、一度それを失ってみないと実感できないかもしれません。というのも、私は昨年末に脳梗塞になって(幸い傍目にはさしたる変化が見られないほどで済みましたが現在も服薬治療中です)、この位置感覚とでも言うものの喪失を味わいました。
 第6の感覚というのは、他の感覚が、光、匂い、音など外部からやってくるのを知ることであるのに対して、「固有感覚」は体の内部の状態を知ることです。静止時と動作時の体の位置を知るというはたらきは、植物にも当てはまって、重力を感知するしくみは根の最先端の根冠にありますが、ここには人間の平衡感覚をつたえる耳石と同じ平衡石があるとか、植物の記憶ということでいうと、脳にあるグルタミン酸受容体は帰国形成、学習に欠かせないが、植物にもあるとか、驚きに満ちている本です。


むかし、青梅街道を都電が走っていた

 むかし、といってもそんな大昔ではありません。私が子どもの時分です。正確にいいますと、昭和38年(1963年)に廃止されるまで、大正10年(1921年)の淀橋ー荻窪感開業以来ということになります。この間は、戦争や東京都の都市計画などがあり、この「14系統」にも様々なことがあったようです。
 今日、路面電車の復活が、まちづくりとの関連で、また、環境面で優位とされる都市内交通機関として、世界的にも評価される流れの中で、なぜ、都電だけが、荒川線を残して、廃止されたままなのでしょうか。都電の後継交通機関としては、バスや地下鉄がありますが、そこには、東京都の都市運営ということが強く働いているのかもしれませんが、記憶に残る青梅街道の都電は、他の41もあった系統の中では、ひとり「孤独のランナー」であったと語るのが、小川裕夫著『都電跡を歩く――東京の歴史が見えてくる(祥伝社新書322)』です。ちなみに、この祥伝社新書というのは、前にも取り上げました『古代道路の謎』(下の新書の欄をチェックしてください)など、ユニークな都市インフラや歴史を取り上げた企画が面白い新書です。

 14系統は、鍋屋横丁までが当初は主要区間だったそうです。それが、荻窪が、西武軌道(青梅街道に路面電車を敷設したはじめの会社)の見通し通り発展することで、単線区間から全線複線化が完了したのは昭和31年(1956年)でした。しかし、爆発的に増加した乗客をさばけず、ついに地下鉄建設の話になるということが、本書に書かれていますが、その他、あなたの身近の系統路線についても、興味深い話がきっと見つかりますよ。
 たとえば、14系統では、なぜ孤独のランナーなのかといえば、軌間が他の系統では1372ミリなのに比べて、14系統は1076ミリであったからで、相互乗り入れができないわけです。また、なぜ、三多摩というのか、西多摩、南多摩、北多摩はあるが東多摩がないのはなぜか、ということなども語られていて、東京の変遷と都電は、意外な関係にあることがよくわかります。この三多摩について言えば、かつて、中野区と杉並区は東多摩だったというのがヒントです。詳しくは本書でどうぞ。



ゆく河の流れは絶えずして

 最後に、小林一彦著「鴨長明方丈記』」を取り上げてみたいと思います。

 最近は、鴨長明の『方丈記』が何度目かのブームと言われています。東日本大震災の影響もあるのでしょう。災害や戦争の跡などに、いわゆる無常観にたつとされる『方丈記』が読まれることは、日本人のメンタリティーの上からもうなずけますが、案外、鴨長明がいかなる人物で、いかなる生涯を送ったのかは知らないままで、冒頭の一節を記憶しているという人が多いのではないでしょうか。
 私もご多分に漏れませんでしたが、長明が負け組だったことや、『方丈記』が住まい論として書かれていることや、災害の書であったことなど、新しい知見に満ちています。
 また、鴨長明は、著者によれば、無頼派でもあったといいます。これは、本書の中の「第4章 不安時代の行き方」に書かれていることですが、檀一雄の「流れる」というエッセイの一節を引用していますが、「たとえば、聖・坂口安吾は、住むところは三畳一間あれば、実に充分なもんで、住みたくなればそこに住み、いやになれば、「ハイチャ、さよなら…」と出ていけばいいじゃないか、と言っていた。」という部分など、類似のものを感じさせます。また、「捨てる生き方」の先駆をなしているとも言えますが、しかし、『新古今和歌集』に入集した長明の「瀬見の小川」の和歌をめぐるエピソードには、捨てようとして捨てきれないものを持っていたがゆえの鴨長明の人間らしさもあるのでした。


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