キーンと冷たいかき氷食べながら

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。


私が私であることと”記憶”のいろいろ
 「私は私であるために、そうだ、元気ですよ!と答えたい」と歌ったのは吉田拓郎ですが、「私がここで行っている意識は、もっとも本質的な意味での意識です。つまり、自分が今ここにいることや自分が自分であることを意識しているという意味での意識、一番高次の意味での意識です。(中略)よく考えてみると、意識には今この瞬間に意識している意識と、自分の自我とか人格を形作っている意識があります。このうち、後者の意味での意識はまさに記憶そのものなのです。」と語るのは、『記憶をコントロールする――分子脳科学の挑戦 (岩波科学ライブラリー)』の著者、井ノ口馨(富山大学大学院教授)です。

 「今この瞬間の意識」については、「今」の記憶と「今」の意識とにおけるタイムラグの存在があるということも興味深いです。そのほか、短期記憶と長期記憶の蓄えられる場所の違いや、都合のいい思い出に書き換えることもある記憶のアップデート、さらに、思い出した記憶は不安定になり、タンパク質合成の条件によっては記憶が消えるということもあるとか、分子脳科学の興味深い知見に満ちています。文字通り記憶をコントロールする可能性が示されています。もちろん、あなたも知りたと思いますが、加齢による記憶力の低下についても、「神経新生」をキーワードにする仮説が紹介されています。
 しかし、著者も「あるセットのニューロンの活動がなぜ、赤いセーターと彼女との初デートをつなぐ心の現象としての記憶になっているのか。そこのメカニズムが解明できない限りは結局、記憶の本質を理解したことにならないのです。」と謙虚に語り、「最後のジャンプ」が必要と結んでいます。
 と、ここまで考えてきてふと思います。吉田拓郎の歌は、結構深いのではと。「私であること」と「私であるため」には、跳躍が必要じゃないですか。勇気と元気の。


「総理の増税判断」について考える前の経済学の予備知識

 様々な経済指標が提出されて、安倍首相もいよいよ消費税増税について判断を下す時が近づいてきたと、メディアで取り上げられることが増えています。とても重要な事案であることは論を待ちませんが、様々な議論と報道の中で、自分なりの考えを持つことは、結果とその対応を、他人まかせにしないためにも必要でしょう。
 安倍首相の念願は、デフレ脱却のようです。リフレ政策には疑問を呈している吉川洋東大大学院教授は、アベノミクスの第2の矢に関連して、ドイツにおけるメルケル首相の付加価値税率引き上げの事例を引用して、消費税増税の先送りはすべきではないと説いています。あわせて社会保障の効率化も求めているところです(読売新聞「地球を読む」)が、第1の矢と関連して、「悪い金利上昇」のリスクの可能性にも言及しています。
 そして、第3の矢の成長戦略に関連しては、「イノベーション」の重要性について指摘しています。もう少し丁寧な議論を知りたいと思う方には、吉川洋著『デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する』で、現状からする経済学的認識の整理をしてみてはどうでしょうか。

 日本のデフレの鍵を握る変数は名目賃金の動向である、というのが著者の主張で、日本だけがなぜデフレになったのかといえば、それは、日本だけが賃金が上がりにくく下がりやすくなっていたからだというのです。
 賃金の下落がデフレにブレーキをかけなかった、というのは、一面理解に馴染むものがあります。リカードの「比較生産費説」を追い上げられる日本にあてはめると、イノベーションが雇用や賃金の上昇につながる道だということが見えてきますが、本書は、そのイノベーションにも、二つのものがあり、ひとつはコストの削減を目指す「プロセス・イノベーション」であり、いまひとつは、新たなビジネスモデルの創出につながり、品質の高い独創的な商品の生産につながる「プロダクト・イノベーション」だといいます。そして、コスト削減に偏ったイノベーションではデフレを脱却できず、目指すべきは、「プロダクト・イノベーション」でなければならないとしています。ここからは、成長戦略が単に有望分野への投資の誘導だけではなく、教育から始まる社会的な広がりを持つものへとパラダイムシフトを起こさなければならないことに気づかされるのではないでしょうか。


Eメールの時代だから、『郵便』です

 郵便というか、「はがき」って結構スリリングでしょう。「手紙」というのは私信の秘密が前提ですが、「はがき」というのは、そうなんだけど、家族なんかにも手に取られてしまい、「ふーん」と思われたりすることが、これまた、リスクとしてありますからね。
 そこで、『郵便少年横尾忠則』です。こういうのもありということでしょう。

 Eメールの時代だから郵便というのは、郷愁ではないですね。ここに収集・展示されているポスト・カードは、見事に、出した人が、無意識のうちに自分自身を語っています。その面白さのさらに先に、横尾忠則をこれまた、それらの人々が無意識のうちに雄弁に語っている見事さに打たれます。企画の勝利です。


いくつかのロング・グットバイ
 チャンドラーの小説以外にも、「ロング・グッドバイ」はいくつかあります。そして、意外な人が登場したりしますが、ここで取り上げるのは『ロング・グッドバイ−浅川マキの世界』です。長いあいだ、忘れていましたが、それは意識しないだけで、日々を追いかけて暮らしてきたからでしょう。

 記憶をたどると、深夜放送で聞いたか、レコードだったか忘れましたが、私には、あやしい”紅”のイメージがあるのでした。本書で、北島三郎の歌について語る言葉にやっぱりと思い、またそういう思いを抱く自分にどっきとしたりして、40年ぶりくらいに『夜が明けたら』や『港の彼岸花』を聴いてしまいました。
 たまに記憶の海に漂うことも必要です。思い出しても、次第に朧げになっていくのがいいですね。


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