面白い本があります

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。


『奇品』とはなにか
 ときとして、「まいるなあ」、という本との出会いがあるものです。浜崎大著『江戸奇品図鑑』も、そのひとつでした。

 タイトルに惹かれて手にとってみて、基本、植物の本であることを知り、江戸時代の「奇品文化」のそもそもについて、先行して出版された、同氏の『江戸奇品解題』へと誘われることになったのです。

 「江戸奇品」というのは、日本文化のマニエリスム的な地底水脈の一種ではないのかと、私には思えるのですが、ざくりとした説明で言えば、江戸時代、武士を中心に盛んになった、人間の手を加えずに、あくまでも自然の突然変異で生まれた、斑入りや葉の形の変形の鉢物を偏愛する、世界でも類例を見ない、「奇品」な文化ということになるのでしょうか。まあ、詳しくは『解題』をお読みいただければと思います。
 まずは、図版にみとれ、奇品家、植木屋、絵師など登場人物のおびただしさに驚き、専門用語解説に酔いつつ、日本の、いまでいうところの、趣味・芸事の不思議をつくづくと感じるのも良いと思います。そして、この「奇品文化」の水脈は、私たちの中にも、か細く微妙かもしれないですが、つながっていることを確認できるかもしれません。
 子どものころ(昭和20年代後半から30年代はじめころまで)近所には、鉢植えの「万年青」を偏愛するオヤジさんが結構いたもので、根元に卵の殻を置いていたり、葉を筆で撫でていたりという光景をよく見かけたことを思い出す人もいるかもしれません。最近では、すっかり見かけなくなりましたが。人為的でないところに奇品たるそもそもがあるとすれば、遺伝子操作などにより突然変異の生物を作り出すなどという発想の文脈と違う流れを受け継ぐ趣味が興るかもしれません。
 電車のなかづり広告で、江戸東京博物館の「花開く江戸の園芸」展http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2013/07/index.htmlの案内を見かけます。ここでも、江戸奇品文化の紹介がされています。また、8月28日には『江戸時代に愛された不思議な植物たち「奇品」の意義〜珍しくて貴重な品〜』と題する講演があるようです。


「名山」にして「低山」もある

 こちらも、「あるんだろうなあ」という思いがこみ上げてくる書籍です。1962年に創設された「低い山を歩く会」という山岳会http://www.geocities.jp/teizan4/index.htmlの監修『日本100低名山を歩く (角川SSC新書)』がそれですが、富士山が世界遺産になって以来のいかがと思われる狂騒状況を見るにつけても、本書はありですね、と思ってしまいます。


 ひとを直立させたものは、眺望への本源的憧憬の衝動だという三木成夫著『内臓とこころ (河出文庫)』を何度も引きますが、そうであるとすれば、直立した人が、山に登ることに何の疑問があろうかと思います。どんな高度でも、近くの公園の人工の山であっても、頂上に立った時の、腹のそこから湧いてくるような喜びを感じるので、この説も納得です。

ところで、低山の定義はどうなっているのかというと、本書によれば、「決められた概念はない」という上で、標高の下限は、山や岳という名がつくなら、限りなく0mに近くても低山と呼ぶのだそうです。富山県富山市呉羽山は標高77mという例を挙げていますが、上限については、あえて1499mまでの山としています。これは、いやでも意識するに違いない深田久弥著『日本百名山 (新潮文庫)』で、主に1500m以上を基準としていることがあるのでしょう。もっとも、深田氏の著書の中では、筑波山開聞岳などの低山も取り上げられているのですが。
 本書は、単に低山の紹介だけではなく、正しい登山術、マナー、登山を楽しむ山歩きガイド、実地に身につけている危機管理術やトレーニング法、装備まで、幅広い知識と知恵に満ちたガイド書になっています。さて、近くの低山を見つけてみますか。

 ちなみに、小林泰彦著『日本百低山―標高1500メートル以下の名山100プラス1 (文春文庫)』もあります。



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