今、私たちはいかなる社会に暮らしているのか

人鳥堂の飯島です。

意見は私個人のものです。

今日のCOFFEE

 今日も、モカマタリ・アルマタです。ちょっと細かめに挽いたのですが、香りはともかく、味はしっかりしていました。


 私のアイフォンは、OSを7にアップデートしました。夜中でもあるのに、ついそうしてしまう私の心理を自分で噛みしめつつも、インテリジェンスと今日の日本の状況を取り上げる前に、考えてみたいことがあります。
なぜ人はネット上で「愚行」を公開してしまうのか

 ソーシャルメディア上で、自らの「愚行」を公開して、職を失うというような出来事が、それほど珍しくないような気もするくらいに、ニュースになっています。果たして、これは、日本だけのことなのか、それとも世界でも共通になっているのでしょうか。そして、人はなぜ、こうした「愚行」を繰り返すのでしょうか。
 「匿名性は、ファイスブックやその他のソーシャルメディア上ですでに崩壊しつつあります。プライベートなものが公になり、数え切れないほどの「友人」や偶然に立ち寄った「ユーザー」によって称賛され、消費されています。」と語るのは、ジムグント・バウマンとデイビッド・ライアンの対話『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章』です。

 さらに、「私たちは自らの意志でプライバシーの権利を手放すのです。(中略)すべてのプライベートな事柄が今では公の場で行われているようなものであり、それを一般の人々が消費できる可能性があります。」、しかもそれは「年齢特異的」な要素によっては説明できず、プライバシーの領域は進んで公開されるということは、個人情報の交換こそが、ソーシャルネットワークの核心にあるからでしょうか。もちろん、「人々が得るものはネットワークであって「コミュニティ」ではありません。」つまり安全ではないのです。

 ここから、本書は、「インテリジェンス」につながる今日的な状況について、基本的な知見を与えてくれます。ソーシャルメディアの影響力について「アラブの春」がよく引き合いに出されますが、「しかしながら、これもすでに監視の対象となっているがゆえに、慎重に観察すべき分野であることも事実です。ソーシャルメディアは、ユーザーをモニターして、データを他の人に売ることで成り立っています。ソーシャルメディアの持つ抵抗の可能性はたしかに魅力的であり、ある意味で有益ですが、それには限界もあるのです。」ということは、ソーシャルメディアの中に、監視する権力の存在が否定できないということでしょう。これは、セキュリティ・監視複合体をめぐる対話へとつながり、「国家の安全保障」という漠然とした概念に使われるケースが多いセキュリティは、「今日、多くの国にとっての政治的優先事項であると同時に、監視を行う大きな起動力で」あり、9.11以降の明確な社会のあり方と捉える必要もあるのでしょうか。
 第1章「ドローンとソーシャルメディア」では、ハチドリの大きさの新世代「ドローン」による監視が、「戦争倫理」的には、戦争と国民の距離を広げ、「国民の生命は危険にさらされず、コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)の恐れももなくなり、政治的なコストのかからなくなるのです。その結果、戦争を始めやすくなり、戦争を行う誘惑に駆られやすくなります。」ということが語られていますが、最近のシリアをめぐる動向について、本書は、自分なりの見立てを持つための基本認識を組み立てる要素になるでしょう。
 そして、ここから「インテリジェンス」の問題、日本の今日的状況への見通しへと流れは続いていきます。

Amazonでどうぞ