人はカメラを手にすると、どうなる?

人鳥堂の飯島です。

意見は私個人のものです。

今日の珈琲
今日は、コスタリカ・スプリングバレーでした。淹れ方は「良」。濁りのない感じで、美味しくいただきました。

 さて、人は、写真を撮る時に、どのような格好で撮っているのでしょうか。どうも、デジタルカメラや携帯、スマホで撮る時も、かつてのような、ファインダーを覗いたときと同じような感覚で画面を覗いているのではないでしょうか。写真を撮るときの、カメラと視覚と脳の関係には、わからないけど、遠い昔の記憶があるように思えてならないと思わせる(ややこしい表現ですが)本を発見しました。太田友嗣著『東京スカイツリーを撮影している人を撮影した本』がそれです。

 表紙の写真を見ただけで、この本がどういう本であるかは、一目瞭然です。もちろん、人は自然にこうやって「東京スカイツリー」の写真を撮っているのです。遠景の「スカイツリー」の写真もありますが、でも、それではつまらない。やはり「スカイツリー」は、その足元から、否、ツリーだから根元から、グッと見上げる構図で撮りたいという、本源的な欲望に突き動かされてくるのではないでしょうか。そしてそれは、そこに居合わせた人々すべてが共感できる衝動であるがゆえに、すべての撮影姿態が了解事項として成立しているのではないでしょうか。
 写真機というものを手にした時に、たとえそれがデジタルであろうとも、現実を切り取り、時間から独立させるかのように思える行為を行うとき、人は、別の存在になるということでしょう。

 まあ、珈琲を飲みながら、理屈抜きに「あるよねー」と、我が身を振り返りつつ、楽しんで読み、眺め、やがて、人の不思議にしばし思いを馳せる、本書は、貴重な精神の旅の本でもあります。


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