日本近代の文化の姿とは

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

台風が近づいてきて心配です。どうぞお気を付けてください。

霜降 初候「霜始めて降る」

今日は、カリビアンクイーンでした。飲んだときはそれほどでもないのですが、後味の余韻がいいなと感じました。


京都、近代日本が生み出した文化の姿
 昨年、京都を旅して、『無燐庵』を訪れました。美味しい漬物屋さんを見つけるなど、思わぬ余録もあったのですが、今年は残念ながら今に至るまで、京都に行く機会はありません。
 そのかわりではありませんが、鈴木博之著『庭師 小川治兵衛とその時代』によって、南禅寺界隈のまちの佇まいについていろいろなことを教えてもらいました。

 はなしは、日本の近代化遂行上必要であった典型的な国家事業であり、「お雇い外国人技師の力を借りずに日本人が独力で成し遂げた象徴的な事例である、琵琶湖疏水工事」からはじまります。そして、疏水脇の「哲学の道」と、小川治兵衛の庭が奥深くに隠されている屋敷、別邸が並び立つ、岡崎公園から南禅寺界隈へと誘われていきます。

 この界隈は、しかしながら、「千年の古都の面影ではなく、近代日本の生み出した文化の姿なのである。」との著者の指摘通り、私などは何も意識しないで、いかにも京都らしいと思っていた景観が実は近代日本が生み出した文化の姿であることを知りました。
 しかし、そのことは、「千年の古都・京都」という意識との間に、何の違和感もなくすんなり収まるのはなぜでしょうか。そこに、疏水の水と小川治兵衛のつくり出した庭園群が、「明治維新から太平洋戦争の敗戦まで」の100年間に近代日本が求めた文化の表現、その時代の支配層が欲した表現があったとすれば、それはどのようなものであったのか。そして、なぜ、それが古都の景観として素直に受け止められてしまうのか、そこにある連続する何かを知りたくなります。

 琵琶湖疏水事業の際に参考とされた米国の運河の街がすでに衰退している今日、「琵琶湖疏水が今も京都の町の中で生き続けている秘密はどこにあるのか」。その秘密を、「治兵衛の庭」を手がかりに考えてみるのも、日本というものを考える一端になるのではないでしょうか。
 小川治兵衛の庭について、「おもしろい」という評価と、「哲学がない」という、相反するものがあるのも面白いですが、モダニズム研究の著者が、日本庭園の研究をまとめたというところにも、日本の文化の多様性を見ることができるのではないでしょうか。


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