『社会脳』が教えてくれるもの

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

霜降 末候『楓蔦(もみじつた)黄なり』

 今朝は、「カリビアンクイーン」でした。珈琲は、淹れる湯温が大事です。熱すぎてもいけませんし、ぬるいのではお話になりません。淹れ終わる頃に90度くらいになっているのを目安に淹れてみました。

大きな『脳』はなぜ生まれたのか
 およそ1年前に脳梗塞になりました。幸い目立った障害はなく、点滴と投薬で退院できましたが、MRIの画像では結構な範囲のダメージで、脳機能論のうえからも、何らかの意識しない障害があってもおかしくないと思いました。
 それまでも人間の『脳』について関心がありましたが、これを機縁に、脳のどこがどのような計算を行っているのかなどについて書かれた、いわゆる「脳系」の本がグッと身近になりました。
 あわせて、インターネットがもたらした様々な恩恵と人間社会にとっての課題、特に最近のソーシャルメディアに絡む犯罪やトラブルについて、考えておくべきではないかと思っていました。
 「念じれば現ず」という言葉があるのかは知りませんが、意識していると遭遇の機会も増えるのでしょう。千住淳著『社会脳とは何か (新潮新書)』は私の関心にぴったりの本でした。

 人は思い込みで出来ているような通念が科学的にくつがえるとき、”目から鱗が落ちる”認識の快感を得ると思いますが、本書もそうで、「あくび」がなぜ起き、そして、それがなぜ「移る」のかとか、ヒトの「白目」が白いのはなぜかとか、「能力」を持つことと、それを自発的に「発揮」することの違いとか、得手不得手の形成と神経ダーウィニズムとか、『脳』の機能分布も、一様ではないことなど、認識の快感に満ちています。
 ところで、”燃費の悪い”『大きな脳』はなぜ生まれてきたのでしょうか。「大きな社会」と「大きな脳」には密接な関係があり、群れの大きさで脳の大きさが決まる「社会脳仮説」が紹介されていますが、群れの中での、人間関係の情報処理、そのために大きな脳が生まれてきたというのです。社会生活の中では、人間は日常的に相手の心を読んでいて、「心は目に見えません。だから私たちは、目に見える行動から、その背後にある心の働きを推し量る必要が」あり、その人が何を見ているのかは重要な情報であって、人の白目は『視線』を伝えるための適応の結果ではないかというのです。


”共感する”脳の働きのために必要なこと
 また、相手に共感することができるのも、「相手の心を読み取って、”感じる”脳の働きだけでなく、その心の働きが自分のものでなく、相手のものであることを”見分ける”働きや、相手の心の状態について、自分がどの様に振る舞うかを”選択する”働き、そして、その選択された行動を考えることなく、自然に”引き起こす”働きも必要」になります。
 『社会脳』の働きとは、「相手の視線や表情、しぐさや声の抑揚などの情報を素早く読み取り、自発的に反応する社会脳の働きは、意識している以上に、他者との関わりやコミュニケーションに大きな役割を果たしている可能性もあります」が、インターネットのコミュニケーションでのトラブルが生じやすいのは、相手の顔が見えず、声も聞こえないため、普段意識しないで使っている相手の視線や表情、自分の動きに対する相手の反応などの情報が使えないことによるのではないか、との著者の指摘には肯かさせられるものがあります。それに加えて、コミュニティーでないものをコミュニティーと思ったり、閉じた友人関係と思っていたものが、実はオープンな場面であったりという、「社会脳」の未熟さが、ソーシャルネットワークでの犯罪やいじめなどのトラブルを引き起こしやすくしているのではないでしょうか。
 認識の快感に満ちた本書は、お薦めです。


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