自分の中の大切なこと

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。

小雪 『朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)』
 今日の珈琲は、グアテマラです。昨日、テレビで珈琲の入れ方を放送していましたが、ペーパードリップのペーパーの折り方は参考になりました。今日は、ゆっくりと淹れました。「トロリ」というのは変ですが、「こく」はそんな感じがしませんか。
 そんな口中の感じと似ているのですが、「645」(確かセミ判といったかと思いますが)の写真は、「湿気」を感じます。それは、写真を撮った場所には関係なくするもので、フィルムとレンズの両方に、35ミリとは違う何かがあるからではないかと思われます。デジタルの中判でもそういうことがあるのかはわからないのですが。何しろ、ローライコードで写真を撮っていた頃は遠くに置いたままですから。
 なぜ、今頃そんなことをふと考えたのかといえば、これも、ふと手にした一冊の本のおかげでした。

行っていない場所に行く時が来る
 私は、まだ、沖縄に行ったことがないのです。だから、体半分もないところで、沖縄について考えるしかないのですが、小学校5年生以来の親友は『シモジ』だし、学生時代、『フクザト』君の運転する牛乳配達のスバルサンバーに乗って、いろいろ活動したりと、人間関係はありましたが。しかし、ここにきて、沖縄について考えている時間が多くなりました。さっきの写真の話ですが、『想い事。 (幻冬舎文庫)』でみた、Coccoさんが撮った写真は、場所が沖縄であっても、湿度が高いという写真の性格は、そうなんだと思いました。

 もちろん、「どんな」ということとは違う、セミ判で撮った写真の、という意味ですが。彼女自身が、ペンタックスの645で、フィルムで撮ることを大事にしている言葉があって、だから、つい、そんなことを考えました。もちろん、本書の巻末の「想い事リスト」をみて、自分自身に公平な文章を読んで、私の「想う事」は、主権国家の、見える、そして見えない社会的枠組みがつくりだしたものもあるけど、一方で、もっと基底の部分では、人は、見え、触れ、味わい、嗅ぎ、聴く、全身で感じる自然の中で、人となり、見えない部分も自分の中につくりだしている、という、当然のことですが。
 最近、『東京ドリーム』という彼女の本が出ました。
 多分、また、ご報告するでしょうが、もちろん、歌も、絵も。
 行っていない沖縄に行く時が来ているのでしょう。実は、北海道にも、佐渡島にも行っていないのです、ああ。


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