『小津ごのみ』を読む

人鳥堂の飯島です。意見は私個人のものです。


定点観測・東天

 今朝は、きれいに晴れていました。寒さは厳しいですが、日中、日が射しているところは案外暖かい感じがして、かえって油断してしまうかもしれません。
天気予報は、一段と寒さが厳しいと言っています。

小寒 『雉始なく(きじはじめてなく)』
 昨日、昔から、やっていた魚屋さんに寄りました。今年3月に、本当に廃業するということでしたが、さびしくも、暮らしのインフラが、また一つ消える不便さも感じました。木下慶介監督の『夕焼け雲』を思い出しました。
 珈琲はマンデリンとバリ・アラビカをブレンドしましたが、成功とはいえませんでした。

東京物語』をちょっと考えてしまいました


 小津安二郎監督が亡くなって50年がたちます。この間、『小津映画』は、変わらない関心を集めてきたように、私自身は思っています。何時、小津映画と出会ったのか、どんな出会いであったのかは忘れてしまいましたが。もっとも、私の場合、小津映画といえば『東京物語』なのですが。
 先日、Eテレで、小津安二郎監督の『隠された視線』を取り上げていました。そして、東京国立近代美術館フィルムセンターで、『小津安二郎図像学』という展覧会をやっているのを知って、さっそく行ってきました。
 Eテレでは、ラストシーンについて、『秋刀魚の味』を取り上げていました。小津映画、あるいは、映画監督小津安二郎を取り上げた書籍は、それこそ、枚挙にいとまがないほどおびただしい。そして、中野翠著『小津ごのみ (ちくま文庫)』がベストとはいいませんが、映評にありがちな、嫌味な「滓」のようなものがない本書は、当たり前に見過ごしていたことも教えてくれてうれしいです。

 

 小津映画って、「さあ、やるぞ!」という感じで観終わるのではないのに、何度も繰り返し見て、ちっとも飽きないのです。吉田拓郎の『流星』の歌詞を借りれば、「幸せとはいえないが、不幸ぶることでもない」人生の真実が、何度も見てしまう映画になっていることのすごさでしょうか。
 『東京物語』、妻を亡くした後に、美しい朝焼けを見て、「今日も暑うなるぞ」と語る笠智衆の言葉と、映画冒頭には夫婦二人だったのがラストでは一人になっているだけで、何も変わらないという真実から眼をそらさずに、生きていかなければならないのです。
 「もう一つ、小津の独創性について書いておきたい。それは、戦後の小津が描き出した男たちがほぼ一貫して若者ではなく中高年だったということだ。」と書く筆者の眼は的確ですが、これは、「老い、世代交代、死、を孤独感とともにおだやかに呑み込んでいこうとする男たち(『秋日和』では女だが)の肖像画なのだから。」という、小津映画理解のある種の鍵を明かしているようにも思えます。


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 著者には、タイトルを見て、浅川マキのうたを思い出すような『東京プカプカ』という本もあります。筆者自身による『小津ごのみ』に触れたところもあります。