美術館で、「記憶」をたどる

人鳥(ぺんぎん)堂の飯島です。意見は私個人のものです。

定点観測・東天

 寒い。昨日は風が冷たく、今日は、早朝、暖房しても部屋はなかなか暖かくなりませんでした。明日からは寒さが和らぐというのですが、「あったかくなると言ったのにちっとも当てにならないわ」と、近所のおばさん達がしゃべっていました。「然り」。

啓蟄 第八候『桃 始めて 笑く(さく)』
 近所の桃も確かに、咲き始めました。旬のさかなは「蛍烏賊」だとか。昔、酢味噌和えを、ヒデさんやヅカちゃん、ゲンちゃん、モリ、モリサキさんなどが、肴に飲んでいたのです。私は、生烏賊にアレルギーで、遠慮気味でしたが。

今日の珈琲

 ペーパーフィルターは用意できたので、『モカ・マタリ・イエメン』です。香りに果実のようなものを感じましたが、気のせいか。



美術館に行こう!

「映画館に行こう」というコンテンツが何かあったような気もするのですが、定かではありません。「美術館に行こう!」というのはどうだったのか、これも、ふとした思い付きですから、調べるほどのことでもないのですが、ちょっと思いついていたのは、酒井忠康監修『美術館と建築』を読んだからで、本書を手にしたのは、原田マハさんの名前を発見したからです。

 そして、本書で、学芸員、建築家、作家の、それぞれの視点から、建築を軸に美術館にまつわる考察が展開されているのですが、観にいく人の視点はどうだろうかとふと思ったことが、はじめに書いたことにつながったというわけです。
 「美術館は中味ありき」というのは当然ですが、でも、金沢21世紀美術館に行ってみての感想を思い返してみても、全体としての体験だな、とお客としては思うので、「建築自体がアートになっている」のも結構で、でも、展示スペースがないようなことは、本末転倒でしょう。ドイツの博物館の大理石の壁の機銃掃射の弾痕も、「やはり場の記憶みたいなものがすごく大きく作用していると思います。美術館もある意味「記憶の装置」といえるでしょう。」という学芸員の方の発言は、現代美術家束芋さんの発言、「鑑賞者の中に残ったイメージ=作品」という言葉につながったり、さまざまに、想いを波紋のように広げてくれて、楽しい作用がありました。
 そして、最近は巻末の資料というのも見逃せなくて、「美術館建築年表」と「関連書リスト」は、つながりを手繰る、記憶の補助装置としてはとてもいいものでした。



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