『次世代の三国志』を読む

人鳥(ぺんぎん)堂の飯島です。意見は私個人のものです。

春分 第十一候『桜 始めて 開く』

 春の景色は一段と強くなり、毎日見る空も、その通りです。何んとも充実していく気配は、老若にかかわらない、いのちの実感でしょう。
 今日は、「マンデリン・フレンチ」です。穀物の味わいが、フレンチローストによって、より深く感じたのは最初で、いまはそういうものとしてなじみの味わいになっています。


確実に時代は”終りと始まり”に入って

 直接は知らなくても、なじみ深い人々が、生物学的に、人生を退いていきます。「時代」がゴロリと入れ替わるような感覚になります。不断に、新陳代謝は行われていると思うのですが、それが転換点として意識されるタイミングというのがあるように思います。そして、それが、まさに「いま」であるように感じます。
 次の時代がどういう時代になるのかについての考察の本ではありません。ある時代が終わった後の次世代ランナーはいかに生きたのかを知ることで、ちょっとばかり見えてくるものがあるのではないかという、そういう興味も感じるのが、坂口和澄著『三国志 それからの系譜 (新人物文庫)』です。

 世にいう名家の末裔に知り合いはいないのですが、政治の世界では、二世、三世がそれほど珍しくもない昨今、初代が有名であればある程、子孫はどうなのかが気になるところです。本書は、三国志に登場する良く知られた英傑だけではなく、曹操や公明、劉備孫権程の有名人ではなくても、後漢時代から三国時代の武将を父とする、78名の子を取り上げ、彼らの逸話をできうる限り記載した、文字通り、「次世代の三国志」です。英傑の子にふさわしい姿であるか、はたまた、父の名を辱めるような生き方であったのか、その人の人生はその人のもので親といえども、という考えもあるでしょうが、それには時代もあったのでは、という思いもあるようです。
 著者はつとに、三国志に関する著作で知られ、あとがきで「私の『三国志』本は(本書で)延べ15冊を数える」とあるとおりですが、著者は本書の本文レイアウトも請け負っているのは、本業がデザイン業でもあるからです。
 さて、私は、誰が気になったでしょうか。魯粛の子、魯淑はどうでしょう。


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