『中野ブロードウェイ』を舞台にした「精神科医の事件簿」小説を読む

人鳥(ぺんぎん)堂の飯島です。意見は私個人のものです。

穀雨 第十六候『葭 始めて 生ず』

 第十六候をみて、赤羽警察署の裏に、葦原のような空き地があったことを思い出しました。季節は少し違っていたように思いますが。
 今日の珈琲は「トラジャ」です。スムースに飲んでしまいます。風邪気味とか関係ないようです。


スラップスティックな小説、「青春の時」のとき

 大学に入学した昭和41年の年末から翌年の正月、私は中野ブロードウェイセンターで、郵便配達のアルバイトをしていました。その後、階段わきの、カウンター席だけでいっぱいという、黒い服の似合うマダムがやっている喫茶店に入り浸る学生生活でした。4階には、「グリル帝国」という店があったと思います。

 そんな私が、「果てしのない記憶の集積所として、バロック空間の様相を呈している中野ブロードウェイ。」その4階で開業する(確かに4階はクリニックが多かった)精神科医とその摩訶不思議な助手が、妖しい事件を、最新の精神医学的知見をもとに、驚愕の手法で解決していく、現代の「スーパー奇譚小説」、という触れ込みの本書、春日武彦著『様子を見ましょう、死が訪れるまで 精神科医・白旗慎之介の中野ブロードウェイ事件簿』を、私が手にとったのも当然でした。


 著者の本は、これまで、『天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか』を読んだことがあるきりでした。


 そこで、小説前作の『緘黙: 五百頭病院特命ファイル (新潮文庫)』も、この際読んでみることにしました。

 最近の傾向として、これまで登場することが稀であった分野(書籍や絵画など)のプロフェッショナルが主人公となって、その通念を超えた、専門領域の知見を大いに発揮して事件を解決するという推理小説が多いのですが、そして、これまで、精神科医が小説家であることは例のあることですが、エンターテイメントとして、自分の専門領域で小説を書くというのは、あまりなかったように思いました(もっとも、最近は、小説をあまり読んでいないので違うかもしれませんが)。
 ただ、ほかの分野の専門家の知見と異なり、困ることは、たとえば、「木の芽どきに人は狂いやすい」というのは俗説で、発症するまでのタイムラグを考えれば、「桜の満開の下で人間が狂うような場面はまず目撃できない。医療関係者は、むしろ気圧の低下を危険のサインと見るようである。」といって、さらに「気圧が不安定あるいは下降しつつあるときに、人は胸騒ぎがする。頭蓋に被われた暗闇の中で脳髄が膨れ上がるからなのか、それとも地表を離れて空気の薄い空中に浮遊したかのような不安定さを覚えるからなのか。いずれにせよ、気圧の下降は凶兆である。」(『緘黙』より)といわれても、果たして、これをどう受け止めるか、わからないまま、天気予報が、別の意味で気になったりするのです。もちろん、最後の『著者ノート』には、「いうまでもなく、本書はフィクションです。」とあるのです。
 

 さて、中野ブロードウェイに係る小説のほうです。こちらには、「薬師あいロード」や、「昭和新道」がでてきます。青島幸男沢田研二植草甚一など住んでいた人にも言及があります。そんなことよりも、いつもたむろしていた喫茶店のことを、このクリニックの様子を読んでいると思いだしてきます。ホームズ役とワトソン役がいて、誰かが、何かを、語りにやってきて、珈琲を飲んで、帰っていく、「琥珀クリニック」のありさまは、あの喫茶店の情景をほうふつとさせます。 




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