「東京」と「京都」、旅だよね

人鳥(ぺんぎん)堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

小満 第二十四候『麦の 秋 至る』

 麦酒がおいしくなる季節を迎えたからではないのでしょうが、麦の実る時期を迎えました。ここでいう秋とは、百穀が成熟する時、つまりは「みのりのあき」の意味でしょう。旬の魚に蝦蛄があげられていますが、そういえば鮨も最近ご無沙汰でした。また、「じゅんさい」も時期を迎えるようで。

 今日の珈琲は、「キリマンジャロ」でした。


遠くを想い近くを訪ねる

 仕事に縛られる時間が少なくなって、旅も自由に行けるようになるかと思っていましたが、現実はそううまくはいかないものです。『遠くへ行きたい』という番組があって、ジェリー・藤尾のうたうテーマ曲と、渡辺文雄のひとり語りながら歩く姿が思い出されるのですが、遠くに出掛けることがなかなか難しいということで、近くを訪ねる、をしばらくは心がけて、遠くに出かけられるようになったときまで、体力を維持しておこうと思います。そこで、近くを訪ねるということは、私の場合、東京のまちを訪ねることになるわけでして、写真も、青梅街道沿いにあった味噌工場のレンガ塀を、跡地に公務員住宅を建てる際に保存した小公園を撮ったものにしましたが、ちょっと違った東京を訪ねてみようと思うのは、東京生まれがたいてい心の奥に持っている想いのようでもあって、東京生まれじゃない木村衣有子著『【バーゲンブック】 もうひとつ別の東京
』の、「ひとつひとつの街は、第一印象だけではかれはしない」し、東京生まれでも、東京の知らないところはたくさんあるわけで、私の55景を探し訪ねるのも好いと思います。

 その手始めに、本書で紹介の、神楽坂『ぺこちゃん焼』とか、この前行って休みだった阿佐ヶ谷『うさぎや』とかありますが、著者と重なるところと、それとは別に、さらに、本郷とか白山のほうとか、門前仲町とか、私のひそかに愛する場所を訪ねてみよう。


遠くにあって想うのは『京』のこと

 最近、京都を旅するテレビの番組を良くみます。なかなか行けないので、せめてと思うのですが、「行けないところの番組は見たくない」と、隣で言われたりしていますが、でも、観てしまうのです。

 そんな私の楽しみの一つは、「京都本」と私が勝手に名付けている一群の書籍がありますが、なかでも、喫茶店にまつわる本は楽しみなジャンルの中の一科です。
 そして、違いを感じつつ楽しめるのは、同じ著者の『京都の喫茶店: 昨日・今日・明日』です。


 ここは、タイトルが「カフェ」でなくて、「喫茶店」になっていることに注目ですが、やっぱり、スペシャティーコーヒーのながれに身を置いているところは変わらないです。本書対談中の鷲田清一氏の「たくさんのカフェ文化があって、あれは縁側に近い」という発言や、喫茶店からカフェにそして、再び喫茶店への流れみたいなことも、どこか、都会で暮らすことの微妙な位相の変化を表しているのかもしれません。

 宝が池の「ドルフ」は、たぶん毎朝だと思いますが、銀色のベンツのツーシータで、少し足が不自由そうなご婦人と帽子がよく似合う紳士が、お茶を飲みにきていました。いまもきっと、そうだと信じています。サンルームのガラスは、毎日、掃除をされ、草花の手入れに、女主人が朝から忙しそうにしていました。その、サンルームにすわって、モーニングを楽しんで、向かいの欅の「水飲み」に来る雀や木の根元の白鶺鴒をながめるのが、京都に行く楽しみでしたが。またの楽しみに。

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