エネルギーを生産する市民についての本を読む

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


小満 第二十四候『麦の 秋 至る』

 強烈な暑さの次の少し涼しい日が、何とも心地よいのは、前の日がいかに暑い日だったかということでしょう。

 今日の珈琲は、「キリマンジャロ」です。ヘミングウェーの小説のように、頂に雪を想像して、熱く淹れて涼しく飲むのはむずかしいでした。


かつて「タケトミジマプロジェクト」を考えた日があった

 原発稼働に関しての司法の判断が話題になりましたが、上級裁判所での争いはまだ続くことになりました。エネルギー政策については、考えることは数多くあるのですが、しかし、結論を得るのはまだまだ先になりそうですが、それよりも、私としては、問題の立て方がどうなのか、と思うことがあります。たとえば、「発送電分離」などということがありますが、「発電」と「送電」について、距離の短縮、なるべく発電と配電の地理的距離を縮める、エネルギーの「地産地消」ということが考え方の柱の一つになることはないのでしょうか。こんな諸々の想いで平成26年4月に決定された「エネルギー基本計画」を読んではみるのですが、『エネルギー政策の原則と改革の視点』で「需要サイドが主導する需給構造の実現」がうたわれてはいますが、この需要サイドは一般エネルギー消費者なのでしょうか。ディマンドリスポンスで想定されている大口需要家とならんで、生活者への取り組みはどうなのかなど、分散型エネルギーシステムについての方針や政策は、もっと大きな柱がたってもよかったのではなどの想いや、スマートコミュニティーの実証実験は、もっと小さな単位でやれないのだろうかなど、さまざまです。
 
 そうした想いは、マティアス・ヴィレンバッハ著『メルケル首相への手紙 ~ドイツのエネルギー大転換を成功させよ! ~』を読んだことで広がりを持ちました。


 著者は企業家にして物理学者、世界中に支社を持つ巨額な売り上げを計上する、再生可能エネルギー設備によりエネルギー供給をしている企業の経営者です。「エネルギーヴェンデ」という言葉と概念を今日的な広い範囲での認知にまで広めてきた中心のひとりです。飛行機の中でのメルケル首相とのやり取りから本書のタイトルが生まれています。詳細はお読みいただくとして、「オフショア風力発電」に対するネガティブな見解にはハッとさせられますし、分散型で作られるソーラー電力がグローバルな公正を促進する理由について書かれたところを読むと、ずっと昔に、「タケトミジマプロジェクト」というのを考えて、離島や山岳の小村では、太陽光発電を普及したらどうかと考えていたことを思い出したり、「コスタリカ」の事例に学ぶものは多いと思ったり、まるで日本のことのようにも思える、「フクシマ後のシステム間の戦い」のところなど、「エネルギーをめぐる論理」について思考を深める手がかりがたくさんあります。



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