災害と財政から見る日本の脆弱性

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


芒種 第二十五候『螳螂 生ず』

 肌寒い気候になってしまいましたが、元気です。着るものは長袖にしました。

 今日の珈琲は「ブラジル」です。あまりにも定番ですが、注意深く淹れることで、印象が変わるようです。それでも、ブレンド素材の定番でもあるので、今日は、そのあたりを考えて、相手を探してみようと思います。


『災害小説』には”知的発見”が必要では?

 現代の日本にあっては、自然と社会現象とを問わず、巨大災害をとりあげた、勝手につければ、『災害小説』というジャンルのものは、近未来小説でもあります。特に、遠くない将来に想定されている、『首都直下地震』や『南海トラフ地震』について取り上げたものは少なくありません。多くは、個人としてのサバイバルに焦点が当たっているのは、人命にかかわるものが最優先であることから当然ですが、少し違った視点から、社会的リスクを取り上げたのが、高嶋哲夫著『首都崩壊』です。首都直下地震が日本発の世界恐慌の引き金を引く、このリスクに対処することが、結局は、人の命を守ることにもつながるのだという本書は、ストーリをはなれ、背景についていろいろな示唆に富んでいます。。



 本書を読んで思うことは、首都東京を襲う巨大災害は、その他の地域のそれとはちがった意味をもつことについての認識です。日本の中枢が機能していてこそ(まあ、人的には様々な評価があるでしょうが、システム、機能としての首都中枢という意味で)、他の地域での巨大災害にも対処ができ、その後の復興対策もあったということです。その東京が巨大災害に見舞われた時、どのような事態が、日本及び世界に起きるのか、特に、経済的ダメージとその影響について、シミュレーションが精度を高めれば高めるほど、日本経済へのシビアな影響がもたらされるという側面への考察は、どこかで誰かが確実にしておいてほしい問題だと思いました。
 世界にあふれかえる『ドル』は、儲けの機会を絶えずうかがっているわけで、それが、破壊的災害であっても容赦はしないということです。日本国債の信認は、経済条件だけで支えられているのではないことも、踏まえたうえで、本書のいろいろなところで眼にする”発見”、たとえば、原発災害の被害補償で広く知られることになった『再保険』のことや、復興への資金のファイナンスで米短期証券の売却もメニューにのぼるであろうことなどなど、さらには、最近の安全保障上の変化なども押さえたうえで、日本の持つ”脆弱性”の分析をしておく必要があると思います。

 小説ですが、示唆を示唆として受け止めることが有用でしょう。たとえば、主人公とそのアメリカの友人との会話で、サイバーテロの問題についての会話がありますが、情報戦略上大事な点は、ネットに流れた情報は消すことができない、ということの指摘と、対処する唯一の方法は、彼らの攻撃を凌駕する、新情報を流すことだ、というものです。
 これに、もう一つ大事な点を付け加えるとすれば、相手に勝る正確さを持った情報を、ということでしょう。小説では、ここがカギになりますが、まずは、読んでいただくということでしょうか。筆者は、この分野では定評のある筆力の持ち主です。単なる災害・パニック小説を超えた、「構図」から、考えておくべきあれこれを発見しましょう。
 そういえば、過去にも金融危機が「日本発の世界恐慌」の引き金を引きかねないという懸念が示され、その回避への取り組みが、その後の日本社会のありようを変えているというちょっと前の出来事がありました。


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