食べ物は好きなジャンル、たぶん誰でも

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

芒種 第二十五候『螳螂 生ず』

 ご近所から、紫陽花の花をいただきました。

 今日は「コロンビア」を淹れました。この豆も、温度が大事だと感じました。梅雨時の珈琲というのは、風情を大事に味を考えたいと、あまり意味のわからないことを思ったのは、平松洋子著、安西水丸・画『ひさしぶりの海苔弁』を読んだのが影響しています。



 とんかつの衣をはがして食べるという『全裸のとんかつ』では、かさぶたはがしの、「かさぶたも、そこにあるだけで勝利している。剥がしたい欲求を書きたてられていじいじ、すでに敗北感を抱く。」と言う前に、「きゃりーぱみゅぱみゅは、正しく発音するのが困難だという時点で、すでに勝利している。」と言う一文から始まります。
 そして、剥がしつながりで、ヒレかつの衣をくるりと身ぐるみ剥ぐ話しにつながっていくので、うまい、とおもわず思ってしまうのです(矛盾の表現ですが、これも影響です)。
 また、本書を読んだ時期が良かったと思います。冒頭の『きゅうりをがぶり』の「豪快に齧りつくきゅうりは二十五メートルのプールを猛スピードで端まで泳ぎきったような爽快な味がする。
 でも、そのあと肩すかし。さらにかりこり噛むと、意外にも間抜けなかんじがあって、そこがいい。」は、やっぱり、夏場だから、そして自分でも、すぐ実践できるわけです。さらに、みょうがについてもやっぱり夏だし、と思ったら、「みょうがの旬は、秋口にもう一度やってきて、みょうがラバーに大サービスだ。」と、旬が二度あることも教えてもらいました。こちらは、機嫌のいいときを見はからって、記載のメニュー、たとえば、みょうがと油揚げの味噌汁、みょうがとじゃこの混ぜごはん、みょうが入りかきたま汁、みょうがと豚肉炒めなど、メモしておいて、それとなく示唆してみようと思い立つのに好い時期です。
 安西水丸さんの画も、じっくり眺めて。


『海苔弁』は江戸・日本橋の駅弁か


 さて、肝心の標題に係る海苔弁です。その前に、かつて、「復刻」と言うコピーと値段(五百円だったと思います)に惹かれ、新宿駅中央本線ホームで、写真の、『鳥めし』弁当を、旅に出るわけでもないのに買って、家に戻ったことがありました。
 いまは、日曜日を『弁当の日』に決めて、デパ地下で求めた、横浜「崎陽軒」の季節の弁当を、せっせと食べています。
 そこで、本書の『海苔弁』ですが、これは東京駅構内、「グランスタ」で売っている、「KINOKUNIYA」の、一個千円の「プレミアム」だそうで、海苔弁がそんなにしていいのかと思うのですが(学校に弁当を持って通っていた人なら、そのときの海苔弁とちまたのお弁当屋さんの海苔弁との違いを知っている人ならきっと同じ思いを一瞬持つと思う)、海苔は山形屋海苔店」、かつおぶしは「にんべん」、焼き鮭は「味の浜籐」となれば、これは、駅弁といっても、江戸・日本橋のご当地駅弁であろうかと、へへーっ、て、旅に出なくても『弁当の日』になんとかできないかと、つい、邪まな考えを巡らせてしまいました。

 実践につながるどれも絶妙の食べ物にまつわる話や「アスパラ祭り」のシュールな景色の描写に、さて、どうしたらいいのか、途方に暮れるというのが実感です。



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