この二冊の語る『時代』にあなたはどうしていましたか?

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


夏至 第三十候『半夏 生ず』

 雨の朝は、まちは静かで、いつもは喧しい雀のさえずりも聞こえません。気になって隣の屋根を見ると、一羽、ひょこっと顔を出したかと思うと、次々に三羽が現れ、さっと飛んで行きました。
 昨日まで元気に咲いていた朝顔は、のぞいた時間が遅かったせいか、雨の中でしおれていました。
 今日の珈琲は「パプアニューギニア」です。


駆け抜ける”あの時代”、僕は歩いていた

 いつだったか、北山修氏が出演したテレビ番組が二週に渡って放送され、あの時代の歌を思い出したり、その景色に登場する人物のことが気になったり、下宿の(自宅のすぐそばのケンちゃんの家だった!)裏の崖下のよくわからない飲み屋の奥の部屋で、岡さんつま弾くギターを聞きながら『イムジン河』を歌ったことなどが思い浮かんでいました。
 そういう時は、こういう本を思い出すわけで、ちらっと本屋で見かけた、島崎今日子著『安井かずみがいた時代』を手にとりました。



 「私」的には、装丁も、ちょっと気恥ずかしくなる思いがするのですが、「僕」ならいいと思うのです。雑誌連載時の、一回ごとに立てられた証言者のなかに、「ムッシュかまやつ」と「吉田拓郎」の名前を見つけたこともありまして。
 「あのとき、誰もが明日を信じ、『何ものかになろう』ともがいていた。そのために規範も常識も蹴散らして、そこに音楽も、ファッションも、雑誌も、あらゆるサブカルチャーが花開いたのである。」、「ムッシュかまやつ」の言葉、「もうあんな人は出てこない」を引用して、著者は「それは、『もうあんな時代は二度とこない』という言葉と同義である。」と。
 そして、「あんな時代」の梁山泊のような雑誌出版の世界を前史として、バブルを駆け抜けるというタイトルで、椎根和著『銀座Hanako物語――バブルを駆けた雑誌の2000日』を読んだのです。



 ここには、『平凡パンチ』をはじめ、同時代の雑誌の裏表が語られています。銀座には、コピーライター養成講座に通ったころに、遊びに行くだけじゃない場所としての、夜の裏通りの世界の空気と音やにおいを感じたようにも思いましたが、でも、駆け抜けていた「あのころの時代」にあっても、『僕』は、乗り遅れて歩いていたように思います。だから、今頃になって、「そうだったのか」と、種明かしされるみたいに、妙に納得してしまうのではないでしょうか。



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