潮目が変わるのか、それとも流れていくのか

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


小暑 第三十二候『蓮 始めて開く』

 曇り空で、幾分か暑さは和らいでいるようです。この時期の台風一過の気候は過酷ともいえるもので、被害にあわれ方々はさぞかしと、思われてなりません。

 この時期、旬の魚は、「鱸」ということです。
 今日の珈琲は「ブラジル」少し濃いめに淹れましたが、仕事明けの休日、こころに余裕を持って味わいました。それと、高円寺のお茶屋さんで緑茶を買ったのですが、水だしもできるということを聞いたので、さっそく試しました。おいしい冷涼茶になりました。得した気分です。


『スタンダード』ということ

 どういうきっかけでこの曲を知ったのかは忘れましたが、深夜まで飲んでいたころ、良く歌いました。「スタンダード・ソング」という意識はありませんでした。ただ、歌っていると、上等のツイードのジャケットがイメージされる、いまのときには似合わないだろうと思う「ロマンティック」という言葉があらわす雰囲気に満ちていると思いました。
 ちあきなおみだけでなく、たまたま、薬師丸ひろ子のそれも知りましたが、水原弘のは知りません。そして、佐藤剛著『「黄昏のビギン」の物語: 奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか (小学館新書)』で、それぞれのシーンでそれぞれに受け止められ、生きられる「スタンダード・ソング」というものを知りました。
 


着物の「ブルース・マン」

 さまざまな歌が、私自身の様々なシーンの背中に流れていました。そして、趣は全く違うのですが、やはり彼の歌も流れていて、これからも、さまざまなシーンに、繰り返し、いのちを新しくすると思うのです。そう、バンドマンであり、絵描きでもあった、忌野清志郎の『エリーゼのために 忌野清志郎詩集 (角川文庫)』が、目の前にありました。


 カバーのイラストと着物の肖像写真に出会った後に、聞き知ったうたの、詩を探したりしながら、それよりは、単純にまず淡々と読んでみようと思い直したり、まあ、いろいろに錯綜する想いの本です。このときに文庫になったのも、何かを感じさせるかもしれません。

 たまに、生きてきた時代を想い、さてこの先を考えるというときに、人とともにあるうたや詩についての本が、見えなかったものをおぼろげに浮かび上がらせるかもしれないのです。


40年後の「ぼくら」を知る

 そして、確実にこの先の時代シーンにいるであろう彼等について、多少の手がかりを得ておくことは、無駄じゃないでしょう。いや、役にたつかどうかは分かりませんが。ということで、『『情熱大陸』800回記念 ぼくらは、1988年生まれ』を。



 思えば、『僕』より40年後になる『ぼくら』は、むかしの仲間の面影を持っているようにも思えるのですが、錯覚でしょうね。それと、ナレータ(たぶんこの年代はあまり世代論には本当は関心がないのではと思いますが、間違っているかもしれません)を除くと、番組制作にかかわったメンバーが、生まれた年や世代に強い関心を持っているということがわかる本です。
 ということで、取り合わせに混乱があるような三冊ですが、時代の潮目に足を浸す感じで混乱を楽しんでみるのも好いのでは。



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