昇り降りに蘇る、遠い記憶はありますか

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。


小暑 第三十三候『鷹 すなわち 学習(わざをなす)』

 5月、6月に孵化した雛はこの季節に巣立ちの準備を始めるのだそうです。飛び方を覚え、狩りの仕方を学ぶのです。
 旬のさかなは「オコゼ」、刺身も美味です。
 今日の珈琲は「ブラジル・コスタリカ」のブレンド、適温はあまり高くないと知りました。


”階段の手すり”に触れたとき溢れだす記憶

 もう、二十年以上も前のことですが、中国を旅したことがありました。知り合いの人々でグループを結成して。なかに、終戦直後、女学生のとき、大連に住んでいたという年配の女性がいました。私もよく知っていて、お世話になった方でしたが、旅程で、大連を訪れることになっていました。そこで、お願いしてそのアパートメントを探してもらいました。多分ここだろうという場所に案内されました。「アカシアの大連」というタイトルの小説があるくらい街並みも素敵なんですが、それも目に入らないような気分で、その、少しひんやりしたような、薄明かりの建物の入り口、住んでいたという二階に続く階段下で、階上を見上げて、一同かたずをのんで見守っていました。その婦人は、少し気おくれしたように佇んでいましたが、意を決したように大理石の階段の手すりに手を触れて、階段をのぼりかけた途端、突然、泣き崩れて、「ここです。ここです。」と叫んでいました。彼女だけが二階にあがって行きました。後で聞くと、その階段の手すりに触れたとき、女学生のころ毎日家に帰ってくるときに触れていた階段の手すりの感触が蘇り、同時にそのときの様々な記憶が溢れてきたのだそうです。
 マドレーヌの香りで蘇るだけでなく、手触りでも、記憶の箱のふたが開いて、思い出があふれ出るのでしょう。

 さて、階段ということで、ビルマニアカフェの『いい階段の写真集』という本を手にとりました。


 「手すりに触れ、身体のリズムを階段に合わせ、目の前の視界が変化していく。ゆったりとした階段は昇る人を優雅な気分にさせ、コンパクトにつくられた機能的な階段は、自然とキビキビした動きになったりします。」とありますが、建築のなかで、階段というのは、考えてみれば不思議な構造です。
 本書によれば、いい階段の見どころの第一に手すりがあげられていますが、理由は、手で触るところにあるのだと思います。私自身は、右壁に階段がつき、したがって、手すりは左側で、左手で触って滑らせながら昇って行くのが好きですね。

 ちなみに私の場合、触覚と記憶との関係でいうと、長春のまちで、道路のくぼみにまかれた練炭の灰を踏んだときのジャリっとした感じで、戦後間もなくの、子どものころの路地の景色を思い出しました。


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