なるほどの答えを見出す2冊

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

立秋 第三十九候『蒙霧(ふかききり) 升降(まとう)』

 気温は下がって、しのぎやすいのですが、なにか、ちょっと物足りない思いもして、人は勝手なものです。
 旬のやさいは玉蜀黍、夏休みに不揃いで、粒の色がところどころ違っていた玉蜀黍を茹でてもらって、毎年遊びに行っていた母の郷里で食べたことを思い出します。あまり甘かった記憶はありませんけれど、楽しかった。
 今日の珈琲は「ドミニカ・カリブ」です。


成城石井』が気になる理由

 疑問に思っていることに思いがけない答えを教えてくれる本というのは、うーん、ですね。疑問に思っていたことはたくさんあるのですが、そのうちの二つについて、そうだったのか、という思いをする本に出会いました。
 東京駅近くの地下街で、はじめて、『成城石井』と出合いました。それほど前のことではありませんでしたので、なんだよ、迂闊だね、という声が聞こえてきそうですが、知らなかったのですから、しょうがないです。
 それで、棚にある品物の、パッケージデザインにひかれたことも含めて、気になるスーパーになったのでしたが、なぜ魅力を感じるのか、自分でもよくわからなかったところ、上坂徹著『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』という本を発見、そのものずばりのタイトルです。


 
 じつは、私の利用駅の駅ビルにも、『成城石井』が出店して、買わなくても立ち寄ることが多くなったのでした。本書の、お客が贔屓にする理由について、なるほどと思うことがある一方で、気になることもありました。それは、会社の売却。最近も、ローソンが500億円で買収の意向というニュースが流れたのですがそれはともかく、業績に陰りがないのに、なんでオーナーが株式を売却したのか、そのあたりは、定かではないのですが、いずれにしても、外部からのショックがプラス方向に働いたけかになったということは、良かったということでしょう。「お客のため」という当たり前のことをきちんと実行しているという、そのところが、いまではすごいことになっているという、大げさに言うと、日本の逆説も感じますが。


「小保方さん」への別次元の理解

 なぜ、「小保方」さんについては気になるのか。どうしても、理化学研究所の管理層に対して厳しい見方に、気持ちとしてはなるのはなぜか。疑問のもう一つはそのことでしたが、一つの答えが示されていました。米澤泉著『「女子」の誕生』がそれです。


 「特に、大学院や研究者の世界では、ファッションは不要とすら考えられている。「小保方さん」があんなに騒がれたのも、本来ファッション誌の「女子」がいないはずの世界に、少しだけその片鱗が窺える女性が現れたからなのだ。」という一文を見たとき、ストンと、あの割烹着姿が毎回といっていいほど、さまざまなことが取りざたされて報道が行われた、また、これからも行われるだろう「STAP」問題のニュースの際に取り上げられるのか、少し理解できた気がしました。そう、割烹着に意味があるのではなく、その肩口にフリルがあしらわれていたことに、「イコン」があったということをです。大上段からの問題意識とはほど遠い、でも、こういうことを理解しないと、とんでもない見当外れの認識に立つこともあるのではないでしょうか。羽織はかまの「大説」ではなくて、着流しの「小説」感覚の論理が案外、当たりだったりするものです。
 「世の中には女子が溢れているが、いったい「女子」とはだれを指しているのだろうか。なぜ、「女子」という言葉がこれほど使われるようになったのだろうか。そもそも、いつ頃から「女子」は蔓延しているのだろうか。」という疑問を、ファッション誌の「生態」観察から読み解く本書は、そんなの関係ない、とうそぶいて生きていけると思っていた私を含めた世の男性(「男子」ではないのですよ、ここが微妙です。)は、未婚女性の増加を含め、社会問題の底流にあると思われる、「女子」の誕生と今後について、ちょっとは考えておいたほうがいいのではないか、と思ってしまいました。
 蛇足ながら、本書の装丁が、好いです。

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