「下り坂」繁盛のカギは?

白露 第四十四候 『鶺鴒 鳴く』

 鶺鴒は、足立区の江北にある野球グランドでよく見かけました。旬のトンブリは、亡くなったヒデさんやヅカちゃん、森崎さん、モリミネさん、ゲンちゃんなど、やたら飲んでいた人々を思い出します。
 今日の珈琲は「ブラジル」です。


「下り坂」という発見

 人生、「上り坂」だけに価値がある、とは限らないというのが、おさえどころですね。
 つまり、「下り坂」の価値を、下りつつある人は、再認識したほうがいい。「『下らない』というのは、つまらない、とるに足らないという意味である。ということは『下る』ことじたいに価値がある。生きていく喜びや楽しみは下り坂にあるのだ。」というように、筆者は、「下り坂の極意」語るのですが、「歳をとったら町に住め。隠居するには町が一番である。近くに居酒屋、コンビニ、銭湯、病院があり、人間がいっぱいいるほうが目立たない。友がいるし書店や図書館や映画館があって新聞も宅配される。」と高齢社会の生活のコツや、「時流に取り残されて」こそ、自分があり、生きてきた甲斐がある、と説く。おっと、嵐山光三郎著『「下り坂」繁盛記 (ちくま文庫)』のことです。


 まあ、読んでのお楽しみですが、「関口芭蕉庵句会」の、参加者のさりげなく、辛辣な人物紹介が面白かったねえ。このくらいの年齢差の人が先輩としても、子どもの頃のガキ大将としても、ちょうどいい感じなのですが、そこで気になったのが、友人のひとり、坂崎重盛氏、源平の合戦に出てきそうな名前の方です。「下り坂は肩の力が抜けて、リラックスして自然体になる。黄金のオーラにつつまれています。繁盛するコツは、繁盛している友人とタッグを組むことです。下り坂であることを受け入れて、下り坂の快感を楽しむ仲間とつき合えばいいのです。」と、南伸坊やだれやらとの交遊記は面白いのでしょう。
 そこで気になった坂崎重盛氏、著書『一葉からはじめる東京町歩き』によれば、役人造園家を経て編集者になり、町歩きと古書店めぐりを愛し、嵐山光三郎とは、同い年の1942年生まれ。日本路地・横丁学会会長というような経歴の方ですね。



 著者の言うように、「この本の特色の一つは、森鴎外(林太郎)が明治四十二年に、”森林太郎立案”と銘打って刊行した『東京方眼図』のつけられていることです」。この地図には鴎外はもとより、夏目漱石樋口一葉の作品に登場する地名が記されています。
 それと、歳をとると、ビスマルクの言葉に逆らうように、自分の経験に傾斜していくのが下り坂、ということで、「1914年」に関心を持ったという自分の経験が、本筋と関係ないところで反応しました。「『大川の水』が書かれたのが大正三(1914)年。芥川、二十二歳の時の初々しい”望郷の唄”である。」というのですが、そういえば、夏目漱石の『こころ』も、1914年だったと、これは別の本で、読んだのですが。反応したのは、1914年が、大正三年だったということも含んでのことですが。

 坂崎氏の本では、嵐山本でも紹介されていた『東京読書―少々造園的心情による』もあります。




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