秋らしい読書というのはあるのでしょうか?

 ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

秋分 第四十六候 『雷 乃(すなわち)声を 収(おさむ)』 

 彼岸花も、お彼岸を過ぎると急に華の勢いがなくなるような気がします。
 今日の珈琲は「ハロウィンブレンド」、ピーベリーを使っているとか。
 秋らしい読書というのはあるのでしょうかね。秋の夜長を灯火良書に親しむなどというのは、現在、寝るのが早い生活ではちょっと難しいし、昼間は出かけたくなり、さて、という時に解決の糸口の本については次回にお知らせすることにして、今回は、感じるままの二冊を。


 賽の目に任せたすごろく旅
 ”路面電車のまちづくり”が、盛んに取り上げられた時期がありました。いまは、それほど賑やかではないのは、通り過ぎたブームではなくて、むしろ、もっと地についた流れになってきていることと、それぞれ、路面電車が適当な街と、そうでないところがあることを理解して、手法としての路面電車ではなく、暮らしの必然としての交通インフラとされてきているのではないでしょうか。
 まあ、そんなことを考えてみたりする、ゆるい感覚の、路面電車にまつわる旅の本が、鈴木さちこ著『路面電車すごろく散歩 (翼の王国books)』です。


 筆者はイラストレーターでもあり、路面電車の絵や、沿線の風景、建物などは、決してゆるくない描写です。日本全国の路面を走る軌道を取り上げていますが、数えてみたら、都電荒川線だけでなく、高知など結構乗っていたことを思い出しましたが、車内や車窓からの眺めなど思い出せるのは、嵐電くらいです。
 まあ、私の子どものころは、青梅街道を都電が走っていましたし、それは、見慣れた風景だったはずですが、いつの間にか、都電が走っていない風景が当たり前になってしまいました。
 なんで「すごろく」なのかは、たぶん、賽の目次第の行き当たりばったりに近い、散歩旅ということなんでしょう。路面電車にはそういう感じが似合います。
 見落としていたらごめんなさいですが、情報として、一日乗車券のありなしと、運賃が分かると良かったと思います。

仕事
 ”とんでもないことでございます”がうまく言えないのです

 先日、芹沢圭介の世界展http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/serizawa.htmlに、日本橋高島屋に行きました。むかし、兜町経済雑誌の記者をしていたときは、よく、高島屋の中をぶらぶらしていたものですが、何年振りかも思い出せないほど久しぶりに行ってみて、新宿の小田急や京王とは、百貨店としては質が違うなと改めて実感してしまったのでした。これは、なかなかの衝撃でした。
 「芹沢圭介の世界展」も面白かったのですが、それよりも、百貨店としての違いに心惹かれるものがあって、新宿と日本橋や銀座とのいうに言われぬ違いにちょっと悔しい思いもしました。私の子ども時代の盛り場といえば新宿でしたから。
 という思いを軽く心にとどめていましたら、敷田正法著『日本橋高島屋名コンシェルジュに学ぶ人の心を動かす「気遣い力」 (実用単行本)』という本に出会いました。そういうことなんでしょう。

 ここでも、丁寧なつもりで間違った日本語の例として、「とんでもない」が取り上げられているのは、これは不変の問題なのかとも思えるのでした。私も研修で教わったことですが、でも、「とんでもございません」と、つい、言ってしまうのです。「その後、私も調べてみたのですが、”とんでもない”で一つの言葉なので、”ない”の部分を”ございません”に置き換えることができないのですね。丁寧に言うならば『とんでもないことでございます」が正しいのです」。
 そうなんですよ、そう教わったのに、とんでもないことに、正しい日本語が使えないことのほうが、この例については圧倒的に多いのです。あわてず、正しく話そうと思います。
 それと、相手の心に残るような話し方として、私は、時には、”ざら”っとした、引っかかりも必要だと考えていましたが、筆者も同じようなことを語っています。
 「ちゃんと話を聞いている」というサインを発信することの大事さについては、「おもてなし」の場面だけでなく、いろいろなところで大事なことになってきていると思います。そうであって、相手からのシグナルも敏感に受け止められるのではないでしょうか。とまれ、日本橋高島屋の雰囲気の秘密の一端が垣間見れる本でした。


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