「聴覚的忘却」やら何やらもあり、朝型人間は”太陽族”かと思う

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

秋分 第四十六候 『雷 乃(すなわち)声を 収(おさむ)』

 いつしか霧のような雨が降ってきましたが、しっとりと濡れた葉の緑もまたいいものです。写真は、雨が降っているときのものではありませんが。
 今日の珈琲は「ブラジル・ブルボン」です。


健康

”五体の散歩とは何か”

 筆者は、1923年生まれとおっしゃるのですから、91歳でしょう。個人的なことながら、私の母と同じ歳ということです。最近も、著書をご紹介しましたが、さらに生産性が高まっているようです。それは、「それまで原稿などを書くのを厄介な仕事と考えて、苦労なことのように思っていたが、散歩だとすれば話が違ってくる。しなくてもいいことも進んでする楽しみであると思うことができる。(中略)ものを書くのを手の散歩と考えるようになってから、執筆量は大きく伸びた。(中略)そして、書き下ろしの本を出すことができるようになった。」という、『手の散歩』に秘密があったというのです。このほか、『眼の散歩』、『口の散歩』、『耳の散歩』、『頭の散歩』など聞きなれない散歩が並び、もちろん、『足の散歩』もあって、『五体の散歩』ということですが、はて、『足の散歩』以外の散歩とはいかなるものなのでしょうか。そして、それは、いかなる効用を持っているのでしょうか。それらについて垂訓をいただいているのが、本書、外山滋比古著『元気の源 五体の散歩』です。


 とりわけ興味深いのは、『耳の散歩』ですが、内容詳細は本書に譲り、「聴覚的忘却」についてです。「レム睡眠の後で見る”夢”には、音がない。イメージだけである。レムが音声、音にかかわっていないことを暗示する。音の記憶過多については、レムとは別の、聴覚的忘却作用があるに違いないが、はっきりしない。」というのです。「リッスン」と「ヒア」の違いがあって、外山先生は、『耳の散歩』は、「ヒア」であるとする。
 さらには、「転がる石は苔をつけない」についての、昔と今の解釈の違いなども、ウーンと大いに腑に落ちるところありです。ちなみに私は、苔がつかないこと、いつまでも新鮮であることを評価する”新興派”に属すのですが。
 それと、”朝型”について、は、夜型が太陰暦人間だとすると、太陽暦人間ということになりますが、私がフト思いついたのは、それからすると、朝型は、”太陽族”だねということでした。


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