”今”という「多元的世界」を読み解く手がかりは

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

小雪 第五十八候『虹 蔵(かくれて) 不見(みえず)』

 雨で、何とはなしにさびしくなります。久しぶりにドアを開けたレストランのマスターとも、ママをしのんでしんみりと会話してしまいました。
 今日の珈琲は「マンデリン」です。昼飯をすませて、帰り際には、世の中のこれからの話を忘れずにしましたが。


『今』の底流を知るには

 世の中が騒がしくなってきたとみえるときは、実は、最深部をゆっくりと、ほとんど動いているとはみえない流れ、いわば、海洋の”塩熱循環”のような動きが、いつの間にか蓄積され、それが世の中の表層を隆起させ、落ち着かない気持ちにさせているのではないかと思うのです。
 二年前と違って、今年の解散・総選挙にはそんななにかがあるように感じられます。まあ、錯覚かもしれませんが。
 そういう時は、その騒がしさのすぐ下に隆起しているもののヒントになりそうな、しかし思い付きですから、あまり分析としてはあてにならなくても、幽かに、手がかりめいた本を探すことが大事です。
 もちろん、行き当たりばったりでは、「犬棒」にもならないわけで、たとえば、「第一次世界大戦から百年目の2014年」というのも、「棒に当たる」になるかもしれません。
 『今』に至る転換点が、第一次世界大戦に淵源を持つとする考えは、あまり考えたことはなかったのですが、それほど奇抜な考えではないことを知りました。つまり、「戦後」が「第一次世界大戦後」を意味するということです。

第一次世界大戦」の標準的書籍と評されているのが、木村靖二著『第一次世界大戦 (ちくま新書)』です。バランスが取れた記述は、読んでいて、冷静な議論に安定感があります。



戦争の呼称には参戦国の戦争観がある

 一見、些細に思えることに、案外、ことの本質を突くようなものがひそんでいることがあります。もちろん、本当に取るに足らないことも、良くあるのですが。
「戦争の呼称は一見些細な事柄に思えるが、第二次世界大戦の日本での呼称について、現在もさまざまな代案が出され、論争になっていることからもわかるように、それはそれぞれの参戦国の戦争観、戦争の記憶のあり方に関わるもので、用語を統一すれば済む問題ではない。」と筆者は語りはじめ、「世界大戦という表記は日本以外ではあまり見られないことは案外知られていない。」と言います。
ちなみに、ドイツは「世界戦争」、イギリスは「大戦争」、フランスは「大戦争」、アメリカは「ヨーロッパ戦争」あるいは「世界戦争」と呼んでいるそうです。
 さて、大きな時代のくくりとしては、大戦が近代から現代への転換点になったということは、現在広く認められているところであるなら、「大戦が破壊したものは何か、大戦が生み出したものは何か」を知ることは、『今』という時代の構造を知ることにつながるでしょう。
そのひとつに、「多元的世界」への転換があるように思います。「たとえば、ヨーロッパ中心主義的世界から多元的世界への転換のはじまりがそれである。この多元的世界には、間もなく、ソ連という異質の次元も加わることになる。」のですが、さらに、ソ連の退場と「ロシア」の登場、中国の台頭など、未承認国家と覇権国の混とんとした状況は、多元的世界の深まりにつながっているともいえるでしょう。
国際連盟国際連合)、国民国家福祉国家と並べれば、勃発から100年たった現在でも、第一次世界大戦が現代国家・社会・文化の基本的枠組みの原点であり続けていることに納得がいくはずである。第一次世界大戦はなお歴史になってはいないのである。」という著者の結語をかみしめると、ものの見方が少し変わるかもしれません。


多元的世界の混とん、

 こころに思っていると、関連したことに出会うようです。第一次世界大戦後の世界のあれこれをとりとめもなく考えていたら、「幻視と逸脱と謎めいた議論に溢れた小説」と解説にいわしめる、アレクサンダー・レルネット=ホレーニア著『両シチリア連隊
』と出合いました。


 本書は、第一次世界大戦後終焉させられたオーストリアのシンボルとされる『両シチリア連隊』をめぐる、ミステリーですが、ホフマンのゴシック小説を連想する、不思議な味わいです。

 「両シチリア」というのは、狭い海峡を隔てて隣り合うシチリア王国ナポリ王国を総称した呼び名で、1816年にこの両国は、フェルナンド一世のもとで「両シチリア王国」という一つの国となったことによるものだそうですが、何とも不思議なミステリーは、作者にこそあるように思いました。作者からはセリーヌを連想しましたが。 


『覇権国』アメリカの奇妙さを、ちょっと違った切り口で

 そして、さらに、ヨーロッパ中心主義的世界から多元的世界への転換とその後の流れの中で屹立する大国、「帝国」と呼ぶ向きもあるのですが、今日、群を抜く覇権国として多元的世界に臨んでいるのが、その相対的位置に多少の揺らぎが出てきたと評される、しかし、依然として厳たる存在であるアメリカについて、アメリカ人が大好きなミュージアムという、少し違った角度から、その奇妙さをとらえたのが、矢口裕人著『奇妙なアメリカ: 神と正義のミュージアム (新潮選書)』です。


 本書は、8つのミュージアムから、奇妙に感じる、アメリカ人のものの考え方を浮かび上がらせようとするものです。
 とりあげられているのは、「創造と地球の歴史ミュージアム」、「全米原子力実験ミュージアム」、「クリスタル・ブリッジス・ミュージアム」、「犯罪と罪のミュージアム」、「全米日系アメリカ人ミュージアム」、「ルイジアナ州ミュージアム」、「ナショナル・9,11メモリアル」、そして「戦艦アリゾナ号メモリアル」ですが、理解に苦しむようなミュージアムの存在に、改めてアメリカの多様性を知ることが、今日の、アメリカという国の行動を理解する糸口になるのではないでしょうか。



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