日本経済の”凋落”を電子産業に探る

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

小雪 第六十候『橘 始めて 黄ばむ』

 旬のやさいは、ほうれん草だそうですが、いろいろと効能があるようで、ブルーライト対策というか、肉眼に備わったサングラス強化の効能もあるそうです。まあ、どれくらい摂取すればいいのかはわかりませんが。
 今日の珈琲は、「インド」と「コロンビア」をブレンドしてみましたが、成功とはいえない結果でした。


 やはり、経済が課題ということは、いよいよはっきりしてきましたが、考え方のヒントになる本を読むことは、楽しいこととは違うのかもしれませんが、楽しみではあります。
 誰の手柄になるにせよ、持続的経済の拡大が可能になることが大事でしょう。人口減少期に入って、日本経済は、成長可能なのか、可能とすれば、それはいかなる条件のもとでなのか、掛け声ではない「成長戦略」について、考えてみたいと思いました。そこで、日本経済の停滞の諸相について、いやなことではあっても、正面から、ためにする議論ではなく、冷静に向き合うということから、西村吉雄著『電子立国は、なぜ凋落したか』を取り上げてみました。



 本書の狙いは、「日本電子産業の衰退という現象を分解して、はっきりさせたい。
第1は過去との比較である。かつては盛んだったのに、最近になって衰退した。
第2は世界の他地域との比較である。米国の、韓国の、あるいは台湾の電子産業は元気なのに、なぜ日本の電子産業は元気がないのか。
第3は他産業との比較である。日本の自動車産業は元気なのに、なぜ日本の電子産業は元気がないのか。
本書ではこの三つの問いのそれぞれになんらかの答えを出すべく、考えを進めたい。
日本の電子産業全体の衰退の原因として、個々の日本企業の経営の失敗、それはあったろう。経営者の責任もあったに違いない。しかしそれだけでは、日本電子産業の総体としての衰退を説明できない。日本のエレクトロニクス関連企業に共通する失敗があったか、あったとしたら、それは何か。」ということですから、今まさに、日本の政治経済の課題そのものをつことにつながっているものです。

スマホをめぐる生産と貿易のグローバルな関係

 この中で、興味深かったのは、米国アップル社のアイフォンを事例にして、スマホをめぐる生産と貿易のグローバルな関係について、アイフォンが売れることで、米国の貿易収支は赤字になるが、世界各地からおカネがアップルに入ってくることで、アイフォンをめぐる米国の経常収支は「黒字だろう。」ということから、「企業や国にとって、貿易収支がただちに悪というわけではない。」ということになるというものです。
 「設計企業と製造企業のグローバルな分業は、電子産業では、いまやごく普通であり、この関係においては、海外生産とか空洞化などの使い古された表現は、ほとんど無意味だ。」ということになり、事実、アップルの米国における雇用創出効果は大きなものであることも指摘されています。

日本電子産業凋落の一因とは?

 この、「グローバル分業に背を向けたこと」が、日本電子産業の凋落の一因と著者は考えているというのですが、それはまた、設備投資の問題とも税制を通じて関係してきているというのです。
 2010年までの電子産業の好調は、「2011年7月に終わるアナログ放送」を背景にした、地デジ特需によるものであったことが今では明らかですが、その地デジ特需は「その前に終わるにきまっている。2007年以降に大型投資をすれば、特需終了のころに供給過多になる。それは十分に予想可能だったはずである。」と、著者は指摘していますが、液晶パネルをめぐる企業動向はまさに、指摘の通りでした。経営判断が特需に目を曇らされたのか、それとも他に理由があるのか、本書はもう一つの可能性を指摘しています。
 「ただし、売り上げの大きいときに企業が設備投資をしたくなる理由のひとつに、日本の税制がある。」つまり、減価償却について、「定率法によれば」、初年度の償却費が大きくなり、節税効果が高いということにつながるというわけです。
 これを「定額法」一本にする予定が、法人税の実効税率の問題と併せて論じられているともいいますが、それはともかく、「日本の半導体メーカーが設計と製造の分業に消極的だった理由の一つに、減価償却コストへの意識の低さがある。」といいます。
 
 ぐるっと見回してみると、そうした問題にも次第に手がつきそうでもありますし、そうでもなさそうで、ここが正念場であることに変わりはないようです。




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