心の奥深くからの関心は眠らない

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

雨水 第五候『霞 始めて たなびく』

 季節の移ろいは、遅々として見えても、着実に進んでいます。
 昨日は、菜の花のお浸しを夕飯で。
 今日の珈琲は「モカ」でした。
 東京に住んでいても、季節感はきちんとあるように思います。昨今は、鳥や花や虫など、おやっと思うほど豊かに姿をみるようになりました。昨日も、このところの雨に誘われたのか、ヒキガエルを道端に見かけるようになりました。ときに、車に轢かれた無残な姿ですが。
 季節感についていえば、「七十二候」に関わる本は最近結構見かけるようになりましたが、つい最近も、こんな一冊を見つけました。
 白井明大著『七十二候の見つけかた


「あらためて見回してみると、じつはいまの暮らしのなかにも、ほんのすぐ目の前に、ちゃんと季節のうつろいが、自然の兆しが、ありありと為築いていることに気がつきました。」と、本書のなかにありますが、その通りだと思います。
 「梅の蕾がほころんだ日には、カレンダーに二重丸でも三重丸でもつけたい気持ちになります。
  その年の春の、最初のあいさつのようなものだから。」、とありますが、私も著者にならって写真を撮ってしまいました。

 しかも、近くの公園に一本だけある梅の木ですから、毎年の最初のあいさつを見つけに行くには格好です。本書は、七十二候をそのまま解説したものじゃないですから、季節感がたりないな、と思ったら手にすると良いのではないでしょうか。


当座の役には立たない読書におぼれる

 差し当たっての世界を認識するというような、たとえば、ウクライナとかダーイッシュとかを巡る大国の思惑や情勢などについての、目から鱗の見立てを教えてくれる本というようなものではなく、というか、まったくそういうものではなくて、しかし、自分の奥深い関心に突き動かされるという必然は、まあ、役に立つのはいつかわからないような本を読むことに、人はなぜ、忙しい時ほどはまり込んでしまうのでしょうか?

たとえば、本書、ロベルト・アンブエロ著『ネルーダ事件 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』がそれです。



 人はどのようにして探偵になるのでしょうか。なぜ探偵になるのかではなく。もちろん、本書で語られるのは、探偵術というような技術論ではないことはもちろんです。人探しの依頼から事件が始まるというのは、私立探偵が登場するミステリでは常套的なプロローグですが、本書もしかりです。ドン・パブロ・ネルーダは、主人公にたいして、私立探偵として雇いたいと申し出た後でこう語ります。
 「ベルギーの有名なミステリ作家、ジョルジュ・シムノンを読んだことがあるか」と。呼んだことがないと返事をした主人公にドン・パブロは続けます。「詩が人を天にいざなうとすれば、ミステリは人にありのままの現実を見せつけ、手を汚させ、南方を走る機関車の機関助手さながらに顔をすすで汚す」と。
 主人公のカジェタノはキューバ人の探偵、作家は、チリのバルバライソに1953年に生まれています。本書はシリーズ6作目、チリでベストセラーになっています。
 ドン・パブロ・ネルーダは、いわずと知れた、ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人。
 チリで仕事をする、キューバ人の探偵とドン・パブロことネルーダ。人探しから始まる、いかにも駆け出しの探偵と、アジェンデ暗殺に至るチリの社会の動向が、カリカチュアのように、夜の闇を背景に、灯りの中に浮かび上がります。
 そして、どうでもいいようでそうはいかない奥深い関心と衝動は、じつは、「パブロ」という名の、スペイン戦争を背景とする時代を生きたさらに二人の、いや、五木寛之

>戒厳令の夜 上巻 (新潮文庫 い 15-9)


戒厳令の夜 下</span> (新潮文庫 い 15-10)


を読んだ人には、さらに三人の「パブロ」のことが引っかかっているからにほかなりません。おそらく私も、五木寛之の小説を読んでいなかったら、本書を手に取ることはなかったと思います。

 そう二人目は、ピカソ、そして三人目がカザルス、五木の小説では、四人目としてロペス、それぞれパブロがファーストネームです。ネルーダについては遺骨の鑑定のニュースからも、この本への興味を掻き立てます。南米チリのバルパライソで長年探偵稼業を続けているキューバ人カジェタノ・プルレは、カフェでコーヒーを飲みながら、自分が探偵として初めて手がけた事件について回想した本作は、「そもそも探偵とはなにか、どんな仕事をするのかを知るために、ネルーダが与えたシムノンの小説を読みあさり、合理的西洋世界のやり方が通用しないラテンアメリカカリブ海のメグレ警部に生まれ変わっていくという、修養小説でもあるのでしょう。先にも触れましたが、著者のロベルト・アンプエロは2113年にチリ文化大臣もつとめています。


 「ふいになにもかも投げ出したい衝動に駆られた。この任務も、新しい仕事も。でもすぐにそんなことはできないと知った。彼はすでに別人になっていた。パブロ・ネルーダが、探偵カジェタノを誕生させたのだ。」
「この探偵という新しい仕事に就くなら、なにがあっても動じない覚悟をしなければならないとわかった。人は、どんな脅威に対しても攻撃し、身を守る。そして、どんなに受け入れがたく思える言葉も恐れてはいけない。矛盾するが、この受け入れがたさこそが調査の道を拓くのだ。」
「カジェタノは達成感を覚えた。捜索を始めたときはどこから手をつけていいかさえ分からなかったが、今では調査とは人生のようなものだと思える。人生は人に問題を課すが、その解決法は人生そのもののなかにある。事情が明らかになるにつれ、待ちかまえる結論に加速度的に近づいていくようだった。」

 かくして、人は探偵になるのです。しかし、作者はなんでこの本を書いたのか。

「私の隣人だったドン・パブロ」という著者あとがきによれば、「私が、1970年から73年までのチリの実際の歴史に忠実に、ネルーダをめぐるこの小説を書いたのは、彼を詩人として敬愛しているからであり、隣人として興味があったからであり、彼が20世紀の歴史的瞬間の数々に立ち会った人物だったからだ。ネルーダはチリ外交官として遠国に赴任し、スペイン内戦をその目で目撃しさえした。
しかし、私がこの小説を書いたことには、他にも強い理由がある。
フィクションと言う免罪符の下、私は血肉を持つ等身大のネルーダを描きたかったのだ。」というのがその答えですが、当座の役にたたなくても、無視できない衝動が人を動かしていくということでしょう。


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