「理研」の闇は日本の構造問題か?

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

啓蟄 第九候『菜虫 蝶と 化(な)る』

 夕暮れ時に降る雨も、静かに艶めいて、春だなあと感じます。
 旬のさかなは浅利、やさいは芹、どちらも好きですね。
 今日の珈琲は「モカ」です。

これで幕引きなのか?それでいいのか?

 ニュースで、「小保方さん不起訴」を知りました。で、「一件落着、幕引きなのか?果たしてそれでいいのか、『理研』」と思った人は僕だけではないと思います(こういう時は「僕」という呼び方になりますね)。そもそも、単なる論文の不正、ねつ造事件であるわけがない、何か裏があってしかるべきと、予感させますね。
 ということで、タイミングでもあるかと思い、小畑峰太郎著『STAP細胞に群がった悪いヤツら』を手掛かりに、憶測をたくましくしたいと思いました。類書はAmazonにアクセスするといろいろあります。



 事件の闇のその背景についての著者の言葉には、この事件が「特殊理研」の事情ではなく、日本の構造的な問題につながってくることを予感させます。すなわち、「原子力産業が、科学分野における、金を生み出す基幹産業たり得なくなった現在、それに取って代わる次世代の錬金術マシーンのエンジン役を再生医療が担うことになった。こうした構造の大転換のなかで起こった事件がSTAP細胞捏造事件である。」と。

 成長の「フロンティア」が消滅し、人口減少による基礎需要の縮小などの苦戦する状況の中で、イノベーションと「不老長寿」という根源的な欲望とでもいえる、減少しない成長の源泉への強い期待があるということなのでしょうか。
 果たしてそれでいいのか?と問う以前に、既存の枠組みの発想が走り出していることへの危惧を、心の底では忘れないようにしようと、自戒するのでした。



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